投稿者: 東京教務所

  • 「庭掃除に問われる」

    「庭掃除に問われる」

     私のお預かりしているお寺の境内には白木蓮の木がある。毎年、お彼岸の頃には満開になり、参詣の方々は楽しみにしてくれている。

     今年は例年より早い開花になってしまい、お中日には散り始めて少し寂しい姿になっていた。「今年は満開の白木蓮が見れなくて残念です」と口々におっしゃる姿に、「また来年を楽しみにしていてくださいね」と私自身は複雑な心境でお答えをする。

     というのは、綺麗に咲き終わった花びらたちは、美しさの反面で掃除が非常に大変だからである。掃いても掃いても絶え間なく落ちてくる。朝一番に残らず掃いてもお朝事が終わる頃の地面は花びらでいっぱいである。風が吹こうものなら掃いた傍からどんどん落ちてくる。樹木の多いお寺であるため、木蓮の次は別の花と春先まで延々と続く。

     しかし楽しみにしてくれているご門徒さんと同様に、私もまた春の花々を楽しみにしているのである。花は見たいが掃除はしたくないという、なんとも自分勝手な思いに気が付かされる。

     思い返してみれば日々この調子だ。自分の都合ばかりで、口には出さないが小さな愚痴ばかりの生活である。先日も地元の花まつり(お釈迦さまの誕生祭)の稚児行列に雨が降らないか心配ばかりしていた。その日は幸いに晴れで子どもたちの溢れんばかりの笑顔が見ることができたが、次の日は雨模様だった。「雨が降ったのが昨日でなくてよかった」と、自分の用事が済んでしまえば、あとは気にも留めないという私の根っこが顔を出す。雨が降らなければ農作物にも影響が出る。しかし農作物の心配すらも私たち人間の都合の話でもある。自分の口にする食料が収穫されないと困るからだ。

     秋は落ち葉の季節である。今から紅葉を楽しみにするとともに、どこまでも自分勝手な思いと共に掃除をしようと思う。

    『Network9(2024年5月号)より引用』佐々木 誠信(東京4組 正應寺)

  • 「令和6年能登半島地震」に対する救援金の勧募について

    「令和6年能登半島地震」に対する救援金の勧募について

     このたび、2024年1月1日以降に相次いで発生いたしております「令和6年能登半島地震」により亡くなられた方々に心より哀悼の意を表しますと共に、被災されたすべての方々に対しまして、衷心よりお見舞い申しあげます。

     さて、令和6年能登半島地震に対する救援金の勧募をご案内いたしましたところ、12月10日時点で27,969,402円(743件)の救援金をお寄せいただいております。当初は救援金の受付期間を2024年12月末日としておりましたが、被災状況が甚大であることから、継続して救援金勧募を行います。

     つきましては、現在までの関係各位のご協力に衷心より御礼申しあげますとともに、引き続き、勧募にご協力賜りますよう再度ご依頼いたします。

    〇東京教区での対応について

    ①見舞金について(1回目)

     500万円を災害救援準備金会計より融通(仮払い)し、1月23日に教区会議長より宗務総長へ手交。

    ②見舞金について(2回目)

     1300万円を3月25日に教区会議長より宗務総長へ手交。

    ③見舞金について(3回目)

     550万円を6月25日に本山災害救援金口座へ送金。

    1 救援金の対象

       令和6年能登半島地震

    2 振込口座名

       口座名:東京教務所義援金口座

           【口座記号・番号:00160‐6‐562299】

    災害情報の共有を目的としたXのアカウントを公開中です。宗派の支援活動や、現地の被災状況等を随時お伝えしていきます。

    「真宗大谷派 災害情報」公式X

  • 聖典学習会―『観経疏』に学ぶ―の開催について

     東京教区『聖典学習会』を、2月10日(月)13時00分より開催いたします。
    聖典学習会は、東京教区内の真宗大谷派教師及び寺族の教学研鑽を目的として開催します。
    ※聴講は寺族・門徒問わずどなたでも可能です。

    【期日】
    2025年月2月10日(月)13時00分~17時00分頃

    【講師】
    青柳 英司 氏(親鸞仏教センター嘱託研究員)

    【会場】
    東本願寺 真宗会館/Zoom配信

    【研修冥加金】
    お一人1,000円

    【申込締切】
    2025年2月3日(月)まで

    【申込方法】

    こちらよりお申込みページへアクセスいただき、必要事項のご入力・研修冥加金のご納金をお願いします。

    【メールの受信設定について】
    過去に学習会へご参加いただいた方へ、開催案内メールをお送りさせていただいております。
    案内が届かない場合、また、案内が不要な場合につきましては、下記をご確認の上、お手数ですがtokyo@higashihonganji.or.jpまでお問い合わせください。
    また、お申込み後、当日の詳細やZoomの入室URLが記載されたメールが、開催日2日前までに届いていない場合につきましても、お手数ですが、真宗会館(担当:山月)までお問い合わせください。

    ■事務局(東京教務所)からのメールが受信できるよう以下のご設定をお願いします。
    ※ドメイン指定をされている場合は、「@higashihonganji.or.jp」をご登録ください。
    ※受信メールの設定をされていない場合でも、ご利用の契約会社にて設定(迷惑メールフォルダに自動振り分け等)されている場合がありますのでご確認ください。

  • 聖典学習会―『観経疏』に学ぶ―の開催について

    東京教区『聖典学習会』を、12月23日(月)13時00分より開催いたします。
    聖典学習会は、東京教区内の真宗大谷派教師及び寺族の教学研鑽を目的として開催します。
    ※聴講は寺族・門徒問わずどなたでも可能です。

    【期日】
    2024年12月23日(月)13時00分~17時00分頃

    【講師】
    青柳 英司 氏(親鸞仏教センター嘱託研究員)

    【会場】
    東本願寺 真宗会館/Zoom配信

    【研修冥加金】
    お一人1,000円

    【申込締切】
    2024年12月20日(金)まで

    【申込方法】
    こちらよりお申込みページへアクセスいただき、必要事項のご入力・研修冥加金のご納金をお願いします。

    【メールの受信設定について】
    過去に学習会へご参加いただいた方へ、開催案内メールをお送りさせていただいております。
    案内が届かない場合、また、案内が不要な場合につきましては、下記をご確認の上、お手数ですがtokyo@higashihonganji.or.jpまでお問い合わせください。
    また、お申込み後、当日の詳細やZoomの入室URLが記載されたメールが、開催日2日前までに届いていない場合につきましても、お手数ですが、真宗会館(担当:寺本・山月)までお問い合わせください。

    ■事務局(東京教務所)からのメールが受信できるよう以下のご設定をお願いします。
    ※ドメイン指定をされている場合は、「@higashihonganji.or.jp」をご登録ください。
    ※受信メールの設定をされていない場合でも、ご利用の契約会社にて設定(迷惑メールフォルダに自動振り分け等)されている場合がありますのでご確認ください。

  • 2024年度東京教区「秋安居」の開設について

    このたび、教学の振興と自信教人信の誠を尽くす大谷派教師の育成を願いとして、

    2024年度「秋安居」を下記のとおり開設いたします。

    【期 日】2025年1月29日(水)~1月31日(金)

    【講 師】草野 顕之 師(2024年度夏安居本講講者・真宗大谷派「講師」)

    【会 場】ニューウェルシティ湯河原 

         〒413-0001 静岡県熱海市泉107 ℡0465-63-3721

    【講 録】『口伝鈔』史考

    【参加費】36,000円(宿泊費・食事代・研修冥加金含)

    【申込締切】2024年12月23日(月)まで

    【申込方法】参加申込書に必要事項をご記入のうえFAX 又は郵送にて2024年12月23日(月)までに東京教務所までお申し込みください。
    〒177-0032 東京都練馬区谷原1-3-7(担当:寺本・山月)
    ℡ 03-5393-0810 Fax 03-5393-0814

    https://staging-jinnet.kinsta.cloud/wp-content/uploads/2024/12/c912dfb4381071706cd2a3faefaee517.pdf

  • 東京教務所・宗務出張所電話の復旧について

    このたび、11/28(木)14時より、通信機器の故障により電話がつながらない状況が発生しておりましたが、さきほど復旧いたしました。大変なご不便をおかけしたことを心よりお詫び申しあげます。

  • 東京教務所・宗務出張所電話不通について

    11/28(木)14時より、通信機器の故障により電話がつながらない状況が発生しております。

    御用の方はメールアドレス

     東京教務所: tokyo@higashihonganji.or.jp

    東京宗務出張所: prati@higashihonganji.or.jp

    へご連絡をお願いします。

  • 「ひとつの不完全な点でありながら内包された世界」

    「ひとつの不完全な点でありながら内包された世界」

     楽しいことをやっていこうで始まった会が、大きくなるにつれ執行部が生まれ、組織化され、責任の主体は、旗印を掲げよう等々と、何か自分とかけ離れたものになっていく経験をしたことはないだろうか。私自身そもそも、何のためにするのかといった情熱や、主体性に乏しいこともあるのだと思うが、その場を取り繕うだけの大義名分は言えても、本当の願いとは何かと問われても、人のためにそこまでできる人ではないので、できる範囲でという分相応の簡素なものになる。

     お寺でできることは何かを考えて10数年、結局やったことといえば、お寺の場作りと、地域との繋がり強化、真宗の学びは言わずもがな…やっているとは言い難い。世界人口は80億人を突破したのに、日々の付き合いは数十人に満たない矮小な世界である。世界は繋がっているとわかってはいるが、身近な繋がりをもって私の全てともいえる。

     あなたの隣人を愛しなさいという戒めがある国でも、戦争の種はあふれている。そこには隣人すら愛せないことがあるという事実、人の悩ましい種が備わっているからである。競争、比較、敬遠、排除、争い。それならば初めから自分の色を出さない方が、フラットに(行き過ぎると無関心ともなり得るが)相手を感じられる気もするが、何も答えないとそれはそれで、意見がない人と見なされることにもなる。何とも面倒で、一見くだらないともいえる評価のある生き方を、命終えるまで続けていくのだ。当然、私もそう誰かを評価しているのである。

     そんな全ての言動は、阿弥陀如来からすれば、はなからお見通しなのである。後出しみたいな登場に、時にずるくも感じられるが、間違い、問われ、戻され、歩みを続ける、この不完全な状態を見つめる感覚が、私はたまらなく性に合っているのである。

    『Network9(2023年12月号)より引用』渡邉 尚康(東京3組 忠綱寺)

  • 「真宗との出会いと今」

    「真宗との出会いと今」

     私は両親がともに公務員の在家に産まれた。実家は真言宗の檀家だったが年1、2回家にお坊さんが来てお経をあげてもらうだけで、結婚前に実家の宗派を確認するまで全く知らなかったくらいに仏教とは縁が無かった。進学した高校と大学は工業系で、両親の職業のこともあり当時から将来は公務員系の仕事に就くのかなと思っており、実際に公務員系の技術職に就くことが出来た。

     仕事を始めてからは会社の仕事の進め方と自分が思う正しさに差があることがわかった。会社というより今の社会の仕事の進め方なのかも知れない。仕事を続けるためにはそのやり方に従った方が楽になるとは思いつつも、自分の思う正しさと違う事をするのは非常に苦痛だった。

     そう感じているところに配偶者と出会いチャンスだと思った。お寺に入れば正しいものの見方という、漠然としたなにかすごい智恵が身につき、私の抱えていた悩みをさっと解決して、心を楽にしてくれると。しかし、私の中にステレオタイプなお坊さんのイメージがあり、私のような人間が肉やお酒を食べたり飲んだりせず、厳しい修行に耐えられるか非常に心配だった。それらが禁止されていないと聞き、浅はかにもこの宗派の僧侶が自分にも出来るかもと思えるようになった。

     真宗に触れてからもう4年になるが、社会人時代に抱えていた問題は解決出来きていない。しかし、自分の思っていた正しさが本当に正しかったのかという疑問が生じたり、問題も解決出来ない、またはしなくてもいい、抱え続けていいのだと思えるようになり、心が少し楽になった。

     ただし、真宗の僧侶が自分に出来ているかは甚だ疑問で、そもそもどうやったら僧侶として胸を張って言えるかもわかっていない。答えが無いのかも知れないが、今後の大きな課題として日々を過ごしていきたいと思う。

    『Network9(2024年2月号)より引用』須賀 優(東京5組 道教寺)

  • 「私の闇を照らす言葉」

    「私の闇を照らす言葉」

     真宗にとって、信心ということは大切な要だと思いますが、私自身、「信心というものはこれだ」と、はっきり言うことができないでいます。

     一方で、『歎異抄』の中でも「如来よりたまわりたる信心」とおっしゃっているので、聞法していれば、いつかその時がやって
    来るのかもしれないと、心のどこかで願いながら待っている自分もいました。

     しかし、「本気で教えを聞きたいですか」という問いを投げられた時に、ハッとさせられました。。それは、以前違う場でしたが「これからも教えを聞いていこうと思いますか?」という問いを投げられた時に、私は「教えを聞いていかないと、自分が何者だか分らなくなるから、聞き続けていきたい」と答えたことを思い出したからです。

     今思うと、その言葉は本気ではなく、「仕方なく聞き続けなければならない」という心が隠れていたことに気づかされました。先輩僧侶がおっしゃった「真面目だけでは、救われない」という言葉も、私の教えに対する向き合い方を問うてくれたのかもしれません。『御文』の「後生の一大事」という言葉の深さをもう一度噛みしめて歩んでいきたいと思ったことです。

    『Network9(2022年12月号)より引用』小林 彩(茨城1組 雲國寺)