投稿者: 東京教務所

  • 向こうからの眼差し

    向こうからの眼差し

    仏教は偶像崇拝ではないか。イスラム教からの批判です。なるほど、仏像(絵像、木像)を本尊として礼拝しているのですから、当然の批判だと思います。

    でも、この頃思うのです。偶像崇拝でない仏教において、敢えて仏像を本尊と仰ぐところにとても大切な意味があるのではないかと。
    礼拝の作法として、仏さまを仰ぎ見る。難しい言葉だと「せんごう瞻仰」といいます。礼拝といっても、瞑目したり、頭を下げればよいというものではありますまい。

    仏さまを仰ぎ見る。目線を合わせるんですね。こういう合掌礼拝が身についてくると、或る時フッと感ずることがありませんか。私はこうして仰ぎ見ているけれど、向こうさまの眼にはどう写っているのかなーと。

    何でもない、ちょっとした感じですけれど、そこは私の生活感覚を一転させるといってもいい程の、大変な場なのではないでしょうか。

    大体、自分の目線というものにクェッションマークをつけたことのない私です。その私に、かなたから見られたらという感覚が芽吹いたら、すごいことです。

    向こうからの眼といっても、世間の眼・ひとめを気にするというのとは違うのです。大悲のまなざ眼差し。ただの批判の眼、冷たい眼差しではありません。

    この私が深く悲しまれているという事。この事一つに気づかされると、何も変らない私の生活ですが、人生の意味は一変するといったら、言い過ぎでしょうか。

    近田 昭夫(ちかだ あきお 東京都豊島区 顕真寺住職)

  • お経

    お経

    「お経」の「経」の文字は「たていと(経糸)」と読む。経糸と緯糸(よこいと)と言えば織物のことである。人生を一枚の織物にイメージして、この文字を当てたのかは定かではないが、なるほどと思わされる部分もある。

    京都の西陣は織物の町。そこで紡ぎ出される伝統の技は美しく雅な織物となり見る者を魅了する。つづれ織りは、多彩な緯糸を使って図柄を表現する。経糸の五倍のきめ細かさと密度の緯糸は、経糸を包み込むようにして織り込まれ、表面には緯糸の図柄だけが現れ、経糸は表面には見えないという。しかし目に見えない経糸の存在が無ければ、緯糸は図柄にはならない。強い垂直な経糸の存在が織物全体を成り立たせているのだ。

    人生も、自分にとって変わることのない不易な経糸に、自らの生活、人間関係、様々な体験、技術、仕事などを緯糸と見なして、その人の手で、その人しか織ることができない、唯一無二の織物である。加えて私たちは目に見えるものを頼りにしがちで、目に見えないものの大切さや感謝を忘れがちである。経糸の不可欠さはそのことをも教えてくれる。

    大無量寿経というお経には、「われまさに世において無上尊となるべし」 とある。人間としてのいのちを生きている「私」という存在は、無上にかけがえのない尊さを持っていることを宣言されたのだ。ひとり一人が織りなす人生の布は、皆異なり、無上に尊く唯一無二である。

    私たちは何を経糸として自らの人生という織物を織り上げるのだろう。「経」という言葉でお釈迦様の教えが私たちに開かれていることを、大切に受け止めていきたいものである。 

    五島 満(ごしま みつる 東京都世田谷区 浄行寺住職)

  • ゆっくり、急ぐ -人生一生 酒一升 あるかと思えば もう空か -

    ゆっくり、急ぐ -人生一生 酒一升 あるかと思えば もう空か -

    私の書斎には、たくさんのお酒の一升瓶がある。一日の仕事を終えて、ちょっと一杯。まず最初は香りのきつい芋焼酎をロックで。う~ん、うまい。二杯目は奄美の黒糖焼酎、これもロックで・・・。こうしていつのまにかほろ酔い気分の、単なる酔っ払いの中年おやじが完成していく。

    「人生一生 酒一升 あるかと思えば もう空か」。この法語は、ある友人の寺報の中にあった言葉。のんべえの自分には、とても分かりやすい法語だ。まだたくさんあると思っていたお酒のビンが、いつの間にか空っぽになっていく。身をもって実感できる事実である。

    時の流れはひとときもとどまることはない。私たちの生は確実に終わりに向かってすすんでいる。時間には限りがあるのだ。だから本当に急がなければならないことを、きちっと見定めて急ぐのだ。

    でも、あわてちゃいけない。「きちっと見定めて」、ということが大事。あわてて急ぐと、足元にあるものにつまづき、こけてしまう。何を急ぐのかを、人々に聞きながら、教えに聞きながら、急ぐんだ。あわてて急ぐのではなく、ゆっくり急ぐんだ。

    こんな言葉もある。
    一日の空過は、やがて、一生の空過となる (金子大榮)
    厳しい響きのある言葉だけれど、逆にいえば、空しく過ぎることのない人生を生ききってほしい、そんな願いのこもった応援歌のようだ。のんきな私を促し続ける熱いメッセージのようだ。

    合言葉は、人に会い、教えにたずねながら、「ゆっくり、急ぐ」。

    酒井 義一(さかい よしかず 東京都世田谷区 存明寺住職)

  • ぼちぼち いこか - 動きながら学ぶ -

    ぼちぼち いこか - 動きながら学ぶ -

    私のお気に入りに『ぼちぼちいこか』(マイク・セイヤー作 偕生社)という絵本があります。主人公は一匹のカバ。このカバがいろいろなことにチャレンジをします。しかし、船乗りになろうとすると体が重すぎて船は沈み、パイロットになろうとすると体が重すぎて飛行機は飛ばず・・・。カバは次々と新しいことに挑み続けるのですが、どれもこれも失敗ばかり。そして最後にカバはこう言います。
    「どないしたらええのんやろ。ま、ぼちぼちいこか。」と。
    たったこれだけのストーリーなのですが、この絵本がとても気に入っています。

    カバは実際に自分の体を動かして、いろいろなことを失敗という形で体験していきます。ところで私たちは、ものごとを体験もせずに知ってしまう知恵があります。実際にそのことをやってもいないのに「ああ、あれはこんなもんだ」という形で自分の中にひとつの答えを持ってしまうのです。しかし、たとえそれがどんなに立派な答えだとしても、実際に自分が体を動かして知った答えではないがゆえに、結局のところ、それは自分が思い描いたイメージにしかすぎず、思い込みの世界の中で生きているということになってしまいます。

    失敗をしても失敗をしても、「ぼちぼちいこか」と身を動かそうとするカバの、そのしなやかな姿勢にいとおしさを感じます。同時に、私は今まで実際に身を動かして何をし、何を学んできたのか。これから身を動かして何をしようとしているのかを、考えさせられます。

    こんな言葉があります。
    「失敗をしたことが一度もないというのは、
    一生何もしなかったことと同じです・・・・・」。
    失敗をおそれて何もせずに答えを出して落ち着いてしまうより、実際に身を動かして、学び・感じ・考えていくことを大切にしていきたいと思います。そう、失敗なんて当たり前。人間は失敗から学ぶことの出来る、豊かな存在なのですから。

    動きながら学ぶ。大切にしたいことは、この一点です。

    酒井 義一(さかい よしかず 東京都世田谷区 存明寺住職)

  • BEATLESな言葉をめぐって

    BEATLESな言葉をめぐって

    ◇◇◇
    When the night has come and the land is dark
    And the moon is the only light will see
    No I won’t be afraid No I won’t be afraid
    Just as long as you stand, Stand by me
    (“Stand by me” J.Lennon)
    夜が垂れ込めてあたりが暗くなっても、月の光だけが輝いていても、ぼくはちっとも恐くない。
    君がそばに寄り添ってるだけで、ぼくは強くなれるんだ。
    ◇◇◇

    タイトルは「ビートルズな言葉」(へんな日本語)である。しかし“Stand by me”はジョン・レノンが歌っているがビートルズの曲ではない。ジョン・レノンが歌ったので「ビートルズな言葉」に入れることとする。しかもカバーだ。ベンE・キングというオールディーズな人の作詞作曲である。うんと拡大解釈、独断偏見であるがご容赦あれ。何故そこまで拡大解釈したか。

    それは松田悠八さんという人が書いた「長良川 ―スタンドバイミー1950―」という本のせいだ。
    岐阜の長良川が舞台となった、美濃弁いっぱいの少年達の物語。サブタイトルに「スタンドバイミー1950」とあるのは、ロブ・ライナー監督によるアメリカ映画「スタンドバイミー」の美濃版として松田さんがこの物語を書いたからに違いない。長良川のまわりで育った少年達の目に映った「死」が様々なエピソードに彩られながら描かれる。

    物語には夜があふれている。智恵を働かせてうごめきながら、かつ闊達に活動した少年時代の思い出が金華山や長良川の風景の中に浮かんでくる。友達がいたから夜にも闇にも、死という現実にも勇気をもって立ち向かえた。互いに影響しあいながら、その土地の文化に支えられながら、少年から青年へと引きずり上がっていく人間関係の濃密さは、むせかえる草の匂いのようだ。そして、その文化の一端に、このウエブサイトを運営する真宗大谷派の「念仏文化」も描かれている。縁あってこの1月末、仕事で長良川を訪れた。川から金華山と岐阜城を見上げ、少年達の声を聞こうとして何故かほくそえんだ。

    ベンが、ジョンが歌う。「ぼくはちっとも恐くない。君達といっしょだから・・・」
    この勇気と信頼を美濃弁でどう言うのか聞いてみたいものである。
    自分が中学生の頃、家を抜け出して友達と夜中の町を行くあてもなく自転車で流した。深夜営業の本屋の怪しげな自販機、スナックから響く笑い声、忍び込んだ友だちの部屋の灯油の匂いと温かさ。ワクワクしたもんだ。誰にでもある、親には語れない、好奇心いっぱいでなつかしい自分だけの「スタンドバイミー」。だからベンでもジョンでもどちらでもかまわない。この曲が好きだ。

    今の東京は青少年条例で23時以降の18歳以下の外出は、補導と親への注意罰金だ。今の子ども達に「スタンドバイミー」はあるのだろうか。

    五島 満(ごしま みつる 東京都世田谷区 浄行寺住職)

  • Kさんのこと

    Kさんのこと

    昨年3月17日、突然Kさんから電話をいただきました。ちょっと相談があるから、来てほしいというのです。

    いつもどおりの元気な声音.なので、「いまご自宅ですか、お店ですか」と聞けば、「病院からなんですよ」との答えに、一瞬とまどっていると、「癌の告知を受けたんです」。それで、相談したいことがある、というのです。

    即座に伺うべきではありましたが、なにぶんにも彼岸中ですので、20日のお中日の彼岸法要を済ませるまでは、どうにもやり繰りがつきません。それで、21 日に病院にお訪ねしました。彼岸というのに、雪まじりの雨の降る、寒い日でした。

    付き添いの娘さんが席をはずすと、「この病室からもう出られないことは、覚悟しています」と、いきなり話し始められます。一言話しては、肩で息をするといった状態で、わずか4日前に電話を頂いた時とは大違いです。

    Kさんは強い人です。南方戦線-ニューギニア-から、部隊でたった3人、生還してこられた中の1人で、戦後は商売一途に邁進してこられました。今度の病気でも、「重大な病気なら、仕事や家庭の問題を片付けなければならないから」といって、医師を脅かすようにして、告知してもらったのだそうです。

    「死んだら、あなたに葬式をやってもらいたい。それから」とKさんは言われます。「つい1ヶ月前に癌が発見されるまでは、こんなことは考えたこともなかったけれども、『何事も前向きに、前向きに』というこれまでの生き方だけでいいんだろうか…」

    それから、戦友たちの「がんばれよ、K」という声に送られて、自分ひとりが斬り込みに出かける夢を見たといいます。
    「ほんとうにお浄土はあるんでしょうか。そして、そのお浄土へ、私は往けるんだろうか」。

    これは、もう、たましいの叫びです。「ある」とか、「ない」とか、「往ける」とか「往けない」とか、そんな答えを求めておられるのではありません。

    しばしば訪れるはげしい嘔き気の合い間に、私は申しました。「Kさん、あなたは強いお方だ。あなたは今、最後の戦いに、たった一人で立ち向かっておられる。全力を尽くして、この苦しい戦いを戦い抜いてください。但し、この戦いは、まったく勝ち目のない戦いです。最後は如来さまにお任せして、さあ、お念仏申しましょう」。

    面会謝絶の個室で、kさんと私は、手を取り合って、「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」と、しばしばお念仏申しておりました。

    翌々日伺った時には、痛み止めの注射か何かのためか、うつらうつらしておられて、「Kさん」と呼びかけても、反応はありません。初めのお見舞いから1週間後、28日に、Kさんは亡くなられました。享年70歳。

    早いもので、もうじき一周忌ですが、とっくに白骨になられたKさんは、今なお生きて、私に語りかけ問いかけて、「お念仏申せ」と、死を超える道を教えていて下さいます。
    南無阿弥陀仏

    稲垣 俊夫(いながき としお 東京都台東区 通覚寺前住職)

  • 僧侶って何だろう

    僧侶って何だろう

    ご法事を終え、お斎(おとき;食事)をいただいているわたしのそばに、お礼の挨拶とお酌をしに施主の方がやってきました。「今日は有り難うございました。死んだ親父も喜んでいることでしょう。これで安心しました。」(読経に対して皆さんそう思っているのか。これでいいのかなぁ)「ところで、御住職と比べたら申し訳ないが、若住職は声がいいですね。」

    父と比較して褒められたその言葉に、さっきまでの心はどこへやら、私の顔はほくそえんでいたに違いありません。苦労してタバコをやめた甲斐があったな…。

    しかし、次の瞬間、私の脳裏には「もし声が出なくなったらどうなる?役立たずの坊主と呼ばれるのか、この場には居られない身になるのか」との思いが経巡ったのです。

    ある学習会で一緒に学ぶT君は全盲です。彼は僧侶としてお寺に勤めていたのでしたが、視力が徐々に衰え、ある日まったく見えなくなりました。そして、寺の勤めを辞せざるを得ない事態が、彼に追い討ちを掛けました。彼のそんな辛い経歴が思い起こされて、私自身への問いとなったのかも知れません。

    いったい僧侶に何が要求されているのでありましょうか。そして、日本人の宗教意識はいかなるものなのでしょうか。

    読経という行為は、仏法の真実に出会うための自身の行でした。生きることの慶びというご利益を賜ったことに対して、その仏徳を讃嘆する意味があるのでしょう。ところが、いつの頃からか読経の意味が取り違えられて、他人(亡者)のためのものになってしまいました。

    真実に出遇うということは、我(私)の思いは妄念と妄想であったと痛切に知らされることです。それが如来の「回向」というものでありましょう。しかし、今日回向といわれているものは、人間の願いが聖職者の取次ぎによってかなえられるという、ご利益信仰の一手段の如くに解釈されてしまいました。

    人間的欲望成就のご利益を得るには、信仰対象に金品や努力を差し出して交換することになります。その取り次ぎ役が僧侶という位置づけがあるのでしょう。これが今日の大多数の日本人の宗教意識であり、回向の構造ではないでしょうか。であれば、神・仏・霊など、対象は異なろうとも構造は同じであって、このための遂行者としての能力が劣れば、布施者側から捨てられるということも起こり得るわけでありましょう。

    回向を期待し、欺かれてもなお回向を期待せずにはおれない人間の、何を本当に求めているのか自覚できないような、心の奥底にある宗教的な意欲を、親鸞聖人は「弥陀回向の法」と示されたのではないでしょうか。

    親鸞聖人の御領解は「神仏を実体化し、主観をもって携われば、やがてはそれ自体にとらわれ、従属関係の中で人は永遠に独立しえないものとなってしまう。」ということであり、本来の自己を回復するためのものであったに違いありません。

    如来のはたらきこそ我らを真の解放に至らしめようという願いであり、私たちはその法の中に生きるものとなる。それ以外にはありません。

    ご法事が如来の智慧に出会う場となることを願い、如来への敬虔意識を確かなものとするためにも、僧俗共に御教えをいただき、仏の大悲心を学んでゆきたいと思います。

    大久保 良尚(おおくぼ よしひさ 埼玉県北埼玉郡 浄楽寺住職)

  • 虫さんと葉っぱさんとお盆

    虫さんと葉っぱさんとお盆

    先日、箱根湯本の温泉に宿泊いたしました。初日はお風呂に入りそびれてしまいましたので、翌日の朝早く、最上階の大浴場に入りました。浴場の外には露天風呂もあり、早速外へ出てみると、人一人が入れる大きな陶器のおわん(手水鉢)のような風呂桶が二つ。これは風情のある粋な趣向であると感心しながらドボンとつかると、なんと心地よいことか。眼前に広がる青空とそよぐ木々。浴場にはまだ誰もいないこともあり、独り占めしているような、ゆったりした気分で、私一人の世界に入り込んでしまいました。

    しばらくすると、ふと目の前にある「お願い」の札に目が止まりました。「このお風呂には、虫さんも葉っぱさんも入ります。どうしてもお気になられる場合は、この網ですくってあげてください。」と。あまりの心地よさに、お風呂を独占し、自分一人の世界に入り込んでいた私に、清涼飲料水のような、心優しい旅館の方の志が飛び込んでまいりました。この言葉は、まさに、虫も葉っぱもゴミとして追い出し、わがもの顔で入っていた自分の醜い姿をそこに映し出し、同時に、「そうなんだ、このお風呂は虫さんのお風呂だし、葉っぱさんのお風呂でもあるんだ」と気づかせ、そして、さらに心まで温まる温泉といたしたのであります。

    さて、お盆が近づくと同時に、亡き人(ご先祖)が私に近づいてきてくれます。ご先祖の供養を行うことがお盆であり、お坊さんにお参りしていただくことや、お墓参りをいたすことを思いますと、お盆は私たちが大切にしてきた仏教行事であります。または長い間培ってきた文化といってもいいのではないでしょうか。

    さて、その大切なお盆の行いの中で、実は私に近づいてきてくれたご先祖は、こうささやいておられるのです。「なにか困っていることはないか」「おまえの人生、本当にそれでよいのか」などと・・・。亡き人の「いのち」と「人生」が、残された私たちの生き方を問うことばとなってささやいているのです。

    露天風呂の言葉が私に飛び込んできたように、お盆には亡くなっていかれたご先祖さまたちが、仏様として私に近づいてささやき、自らの欲望のおもむくまま他者を排除し、逆にそのことで苦しんでいる私の姿を見せようとしてくれているのではないでしょうか。

    先祖を供養するとは、実は救われなければならないのは私であったことを気づかしめることであり、餓鬼のような自らの有様に痛みを感じることによって、やさしさを培うことであったのです。そしてそのことが、亡くなった人を大事にすることでもあったのであります。

    お盆をご縁に、「虫さんも葉っぱさんも入ります」、そんなやさしさあふれる家庭や社会にしていきたいものです。

    禿 信敬(かむろ しんきょう 真宗大谷派東京教務所 前所長)

  • 短い人生だったけど

    短い人生だったけど

    「 1歳という短い人生だったけど、彼にとっては大切な一生だったのでしょうね。」

    数年前、1歳の我が子を亡くされたお母さんが、お通夜の席で述べられた言葉です。まだその事実を受け取る余裕もないお母さんが、その深い悲しみから、精一杯ご自身に言い聞かせるように述べられた言葉でした。

    しかし、それは単に自分を納得するためにだけの言葉という以上の深い響きとなって、私の胸に届くものがありました。そのときのお母さんの直接的な思いは別にして、今まで持っていた人生に対する思いを根底から覆すような思い意味をもった言葉であると感じたのです。

    「人生とは何か」とか、「なぜ生きるのか」という問いに対して、「こうだ」と一点の曇りもなく言い切れる人はいないでしょう。

    どのような答え(人間の思い)も、このお母さんのこのような質の言葉の前には、あまりにも色あせた答えでしかないことを思わされます。どのような物差しをもって人生を計ってみても、その結論に本当に満足することができるとは限らない。悩みという形をとって、自らの結論に「ほんとうか?」と問うてきます。

    この世の中に<絶対>はありません。自分の人生に起こること一つひとつが、人間の都合を抜きに、思わぬ出来事です。自分の性格や環境、出合った事柄、喜びも悲しみも、どれをとっても思いを超えた不思議なことばかりです。何一つとして自分の思いで、そのすべてを説明できるものはないのですが、この説明できないというところに人間は苦しみます。

    けれども、分からない世界のほうが広く深いのだと知ると、不思議という言葉が大きく転換します。解明しなければならなかった不思議が、自分を教える先生になります。都合の悪いことも、いいことも、自分を教える先生となるのです。

    逆に言えば、何をしても、どのような人生を歩もうとも、どのようなことが起こってこようとも、そこから開かれる道があるということです。

    また、この言葉はよく考えてみると、応えでもありますし、また問いでもあります。

    「どのような人生を送っても、それ自体尊いものである」という応えの声であると同時に、「お前は何をもって人生といっているのか」という問いの声としても聞こえてきます。

    私たち人間の思いでは、いつでも問いと応えはどこまでも別々のものです。しかしこの言葉のように<ほんもの>の言葉には、応えと問いがともにあるように思うのです。親鸞は、このような深い問いと応えが共にある言葉を、仏からの声と聞き、不思議な現実を生き切る深い意味を見出した人のように思うのです。ですから決して人生をこうだと無理して決める必要がない。問いと応えとの間を揺れ動きながら、その声を聞きつづけて生きてゆくところに、「真実を生きる」という道が開かれていると思うのです。

    私にとって真宗は、このような声となって、私の心を揺り動かし、人生を歩み続けよとかけつづけてくれる「言葉」だと感じるのです。

    二階堂 行壽(にかいどう ゆきとし 東京都新宿区 専福寺住職)

  • 旅に出よう -輝く生を求めて-

    旅に出よう -輝く生を求めて-

    便利さと 快適さと
    豊かさを追い求めて 生きてきた
    どこかには たくさんの悲しみや
    苦しみがあるのに
    自分さえよければ 今さえ楽しければ
    そんなことを追い求めて 生きてきた

    じっと目をこらす みみをすます
    この世は 悲しみに満ちている

    人と人とが 殺しあう現実
    生きる希望を見失い いのちを断つ人々
    後を絶たない 悲惨な出来事
    人を踏みつけても 何も感じられない私
    何かに 流されていくような自分
    そんな現実から私を呼ぶ声が聞こえる
    「本当に それでいいのだろうか」

    いま ただ聞いてみよう 私を呼ぶ声を
    「本当に それでいいのだろうか」

    南無阿弥陀仏 それは
    「あなたを見ています」という仏からの呼びかけ
    南無阿弥陀仏 それは
    「私はここにいます」という私の名のり

    私たちは誰も ひとりじゃない 
    ありのままでずっと 待たれ続けている
    私を呼ぶ声を聞きながら 旅に出よう

    苦しみと悲しみが あふれる世の中で
    座り込んでいては いけない
    すっくと 立ち上がり
    歩き出して 生きてきたい

    いしかわらつぶてのような われらを
    「こがねとなさしめん」
    そう力強く叫ぶと共に
    生きて往きたい

    私は待たれ続けている存在
    さあ 旅に出よう 輝く生を求めて
    生きていてよかったといえる生を求めて
    いま に 旅立ちのとき

    酒井 義一(さかい よしかず 東京都世田谷区 存明寺住職)