投稿者: 東京教務所

  • 「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(4)小川一乘 氏 

    「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(4)小川一乘 氏 

    パート3に引き続きパート4(最終)です。

    去る2024年1月26~28日、真宗会館にて東京教区報恩講が勤修されました。
    逮夜法要(27日)および日中法要(28日)でお話しいただいた法話のダイジェストを掲載いたします。
    法話は、大谷大学名誉教授・小川一乘氏を御講師として、「『いのちの事実に目覚めよ』―親鸞聖人にとっての死―」をテーマに、お話しいただきました。  『Network9』2024年4月号より引用

    親鸞聖人にとっての死

     仏教では、死ぬことを「入滅」と、滅に入ると言います。では、仏教における死である「入滅」について、親鸞聖人のいただきは、どう関わっていくのでしょうか。釈尊が入滅をされた時に、帝釈天が「無常偈」(『涅槃経』)という偈文を詠ったと伝えられています。それは次のようです。

    (しょ)(ぎょう)()(じょう) ()(しょう)(めっ)(ぽう)

    (しょう)(めつ)(めっ)()  (じゃく)(めつ)()(らく)

    諸行は無常である。それは生じたり滅したりする存在です。生じたり滅したりすることがなくなり、すべてが滅し尽きた「寂滅」を楽と為すのです。寂滅というのは、釈尊にとっての入滅です。「楽と為す」というのは、大乗仏教になってくると、「極楽」や「安楽国」の「楽」に通じていきます。
     親鸞聖人は、この「入滅」とはどういうことかを、「正信偈」で法然上人を讃える中で、はっきりと受け継いでおられます。

    速やかに(じゃく)(じょう)(む)(い)(みやこ)(い)ることは、必ず(しん)(じん)をもって能入とす、といえり。

    (『真宗聖典』第1版 207頁)

    と法然上人のお言葉を引用しております。「寂静」は「寂滅」と一緒です。そして「無為」ということは「生滅滅已」です。生じたり滅したりすることが滅して、為すべきことがなくなるというのが「無為」ということです。釈尊の入滅のときの詩が、法然上人によって、このように表現されています。ところで、この文は実は法然上人の文そのものではないのです。『(せん)(じゃく)(ほん)(がん)(ねん)(ぶつ)(しゅう)』を見てみますと、法然上人ご自身は「涅槃の城には信を以って能入とす」と言っておられます。親鸞聖人はこのお言葉を、次のように説明しておられます。

    (ね)(はん)(し)(じょう)」ともうすは、(あん)(にょう)(じょう)(せつ)をいうなり。これを(ね)(はん)のみやことはもうすなり。「(い)(しん)(い)(のう)(にゅう)」というは、真実信心をえたる人の如来の本願の実報土によくいるとしるべしとのたまえるみことなり。

    (『真宗聖典』第1版 528頁)

    ですから、「(そく)(にゅう)(じゃく)(じょう)(む)(い)(らく) (ひっ)(ち)(しん)(じん)(い)(のう)(にゅう)」と、法然上人は仰っていると言いながら、そこに善導大師のお言葉を入れて、「涅槃の城」を「寂静無為の楽」と言葉を置き換えているのです。これを見たらどうでしょう。「寂滅を楽と為す」という、釈尊の入滅のことと中身は全く同じなのです。しかも親鸞聖人は「涅槃のみやこ」と言うのです。これは親鸞聖人の独特な表現だと思います。涅槃というのは阿弥陀如来によって明らかになった世界です。それを親鸞聖人は「みやこ」と表現したのです。言葉を換えれば、阿弥陀如来のいる世界に帰っていく、ということになります。それを「楽と為す」と仰っているのです。
     法然上人は、人々が阿弥陀如来の国に生まれたいと願ったその瞬間、覚りを開く世界に身を置くのであると仰られました。死んでから覚りを開くのではないのです。今「いのち」の事実に目覚めたその瞬間に、私たちは覚りの世界へと、往生していく往相回向が定まるのです。ただ今この身が、寂滅為楽、寂静無為の楽に入る身として定まる。そのことを往生と、親鸞聖人はいただいているのです。
     親鸞聖人がいただいている往生というのは、「大経往生」です。『大無量寿経』に説かれている往生を、親鸞聖人はこのように申しております。『(じょう)(ど)(さん)(ぎょう)(おう)(じょう)(もん)(るい)』の最初に、

    (だい)(きょう)(おう)(じょう)というは、(中略)念仏往生の願因によりて、必至(めつ)(ど)の願果をうるなり。(げん)(しょう)(しょう)(じょう)(しゅ)のくらいに住して、かならず(しん)(じつ)(ほう)(ど)にいたる。これは(あ)(み)(だ)(にょ)(らい)(おう)(そう)(え)(こう)(しん)(いん)なるがゆえに、無上(ね)(はん)のさとりをひらく。

    (『真宗聖典』第1版 468頁)

    とあります。念仏して往生するという願が因となって、ただ今この瞬間、現生に正定聚の位に住して、必ず滅度に至るという果が得られるのです。これは阿弥陀如来によって説かれている、私たちが仏と成っていく真の因である。ですから私たちは、必然的に無上涅槃の覚りを開く者となる。これが大経往生なのです。
     親鸞聖人は、ここに身を置いたのです。入滅とは、必ず滅度に至るということです。滅度というのは、寂滅の涅槃の世界のことです。そこへ至るということが往生ということなのです。 私たちはすでに、釈尊によって顕らかにされた「いのち」の事実を、現に生きている。その「いのち」を、「いのち」たらしめている、全てのご縁が寂滅した世界へと帰っていく。それが本願力による私たちの往相回向です。それを私は「『いのち』の事実に帰る」と表現したいと思います。私たちは「いのち」の事実に目覚め、「いのち」の事実を生き、そして最後は、「いのち」の事実に帰っていくのです。そういう、ただ今の「いのち」を生きているのです。これが仏教における、入滅ということの一貫した説明です。生じたり、滅したりしている、(しゃ)(ば)の縁が尽き果て、「ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべき」身なのです。「かの土」とは入滅をしていく世界です。入滅をしていく世界とは、娑婆の縁が静まったということです。その静けさを楽(みやこ)とする世界へと帰っていく。その仏教の基本を、親鸞聖人は法然上人を通してきちんと確認をされているのです。〈了〉

    ※ダイジェストになりますので、本編をご覧になりたい方はこちらを参照ください。

    【2024年東京教区報恩講27日逮夜】

    https://youtu.be/xwXayQCmX7E?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=8946

    【2024年東京教区報恩講28日日中】

    https://youtu.be/PvjjBsx48rE?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=10088

    以 上

  • 「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(3)小川一乘 氏 

    「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(3)小川一乘 氏 

    パート2に引き続きパート3です。

    去る2024年1月26~28日、真宗会館にて東京教区報恩講が勤修されました。
    逮夜法要(27日)および日中法要(28日)でお話しいただいた法話のダイジェストを掲載いたします。
    法話は、大谷大学名誉教授・小川一乘氏を御講師として、「『いのちの事実に目覚めよ』―親鸞聖人にとっての死―」をテーマに、お話しいただきました。  『Network9』2024年4月号より引用

    照らす者と照らされる者

     親鸞聖人は、出家をして比叡山で学ばれました。そこで、出家をして修行を積んで覚りを開いて仏と成るという(じ)(りき)(さ)(ぜん)の仏道に、親鸞聖人は絶望して山を下りました。その比叡山で天台宗を開かれた(さい)(ちょう)は、比叡山で学ぶ若者たちに対して、『(さん)(げ)(がく)(しょう)(しき)』という指南書をお書きになっています。その言葉の中に「一隅を照らす者となれ」というものがあります。修行を積んで覚りを開き、世間の人々に智慧の光を当て、仏の教えに出会うようにする。世界を照らすことができなくても、一隅でもいいから照らす者となれ、と若者を励ましたのです。それが出家仏教の基本なのです。
     その天台宗の中で、(そう)(ず)という位にまでなった(げん)(しん)僧都を、親鸞聖人は七高僧の中に取り入れています。なぜかと言いますと、源信僧都は最澄と違ったことを仰ったからです。それが『(おう)(じょう)(よう)(しゅう)』という有名な書物です。なぜ源信僧都を、親鸞聖人は七高僧の中に取り入れたのか、『正信偈』を読むとはっきりします。

    (われ)また、かの(せっ)(しゅ)の中にあれども、煩悩、(まなこ)(さ)えて見たてまつらずといえども、大悲(ものう)きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。

    (『真宗聖典』第1版 207頁)

    と、源信僧都の『往生要集』のお言葉をそのまま引用されています。このお言葉に親鸞聖人は注目されたのです。それを「高僧和讃」の中では、

    (ぼん)(のう)にまなこさえられて

    (せっ)(しゅ)の光明みざれども 

    大悲ものうきことなくて 

    つねにわが身をてらすなり

    (『真宗聖典』第1版 497頁)

    と詠まれています。照らす者となれと励ましたのが最澄です。ところが源信僧都は、いつも照らされているというのです。我が身は照らされて生きている者、そういう源信僧都のいただきに親鸞聖人は納得したのだと思います。
     わかりやすい例えで説明してみましょう。真っ暗な部屋に入って照明のスイッチを入れると、部屋が明るくなります。スイッチを入れる者となれ。これが最澄の仏道なのです。源信僧都のいただきは、煌々と明るい部屋にいながら、目をつぶって「暗い、暗い」と無明の世界を作り出しているのが、この私であると言うのです。
     もうすでに明るい世界にいるのです。それが「いのち」の事実です。しかし私たちは煩悩にまなこさえられて、暗いと言って生きているのです。そう仰る源信僧都のお言葉を、親鸞聖人は大切にされました。そのお言葉を通して、源信僧都を七高僧の一人に加えておられるのではなかろうかと思います。親鸞聖人も、阿弥陀如来の本願に照らされて、生かされている身である、ということを信じて生きる身となりました。同じように、私たちも親鸞聖人と同じ方向を向いて、照らされて生きる者となる。それが、源信僧都の「大悲無倦常照我」というお言葉です。今この瞬間も、「いのち」の事実に目覚めよという智慧の光、大悲によって照らされているのです。

    如来のはたらきとしての回向

     「本願力回向」として、本願のはたらきによって差し向けられているものに、「(おう)(そう)回向」と「(げん)(そう)回向」という二回向があると、親鸞聖人は説かれています。ある人は「念仏者は、死んだ後に浄土へ往生して、再びこの世に還ってきて、人々を照らし教化する、それが還相回向である」と、そのように還相回向を「未来のこと」として受け取ろうとします。しかし親鸞聖人は、ご自身が再びこの世に還ってきて、人々を教化するなどと、そのようなことは一言も仰っていません。
     では、親鸞聖人にとって「還相回向」とは何でしょうか。それは「大悲無倦常照我」という、今まさに智慧の大悲によって、照らされているということが「還相回向」なのです。その大悲に照らされて、私たちも智慧の世界へと帰ることができる。それが「往相回向」なのです。これが本願力回向(本願のはたらきとしての二回向)であると親鸞聖人はいただいていると、私は受け取っています。
     ですから未来のことではなく、ただ今のこの瞬間、私たちは還相回向の光の中に身を置いているのです。その光明無量、壽命無量の本願に出遇って、私自身が「いのち」の事実の世界へと目を開かせてもらっていくのです。自分の力では目を開くことができない私たちに「目を開いて見なさい」と、「あなたは光の世界に身を置きながら、『暗い、暗い』と言って無明の世界を造り出している。その事実に目覚めなさい」と言って、私たちにはたらきかけてくださっている。それが還相回向であり、大悲なのです。目覚めていない者がいる限り、光明無量は壽命無量となってはたらき続けてくださっています。私はそれを、還相回向といただいております。 そのことに感動し、照らされているただ今の瞬間の「いのち」を、感動をもって生きる者となる。そして親鸞聖人は『歎異抄』で、感動をもって生きる者となった私が、

    なごりおしくおもえども、(しゃ)(ば)(えん)つきて、ちからなくしておわるときに、かの(ど)へはまいるべきなり。

    (『真宗聖典』第1版 630頁)

    と仰っています。必ず「かの土」へ行かなければいけないのです。ただ今の私を私たらしめていた、数限りないほどのご縁が尽き果てたら、どんなに死にたくないと頑張っても、力なくして終わるときは、「かの土」へ参るのです。親鸞聖人は、その「かの土」ということをどのようにいただいていたのでしょうか。

    ※ダイジェストになりますので、本編をご覧になりたい方はこちらを参照ください。

    【2024年東京教区報恩講27日逮夜】

    https://youtu.be/xwXayQCmX7E?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=8946

    【2024年東京教区報恩講28日日中】

    https://youtu.be/PvjjBsx48rE?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=10088

    パート4(最終)へ続く

  • 「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(2)小川一乘 氏 

    「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(2)小川一乘 氏 

    パート1に引き続きパート2です。

    去る2024年1月26~28日、真宗会館にて東京教区報恩講が勤修されました。
    逮夜法要(27日)および日中法要(28日)でお話しいただいた法話のダイジェストを掲載いたします。
    法話は、大谷大学名誉教授・小川一乘氏を御講師として、「『いのちの事実に目覚めよ』―親鸞聖人にとっての死―」をテーマに、お話しいただきました。  『Network9』2024年4月号より引用

    「いのち」の事実に生きる

     親鸞聖人がおられた鎌倉時代までの日本の仏教は、比叡山の日本天台宗などの(けん)(きょう)と、高野山の(しん)(ごん)(みっ)(きょう)という(けん)(みつ)(ぶっ)(きょう)が基本です。仏教というのは覚りを開いて仏に成る教えである。それを当時の仏教は、出家をして定められた修行を積み重ねることによって、覚りを開いて仏に成るというのが常識でした。これを親鸞聖人は、修行によって覚る「行証」と表現しております。それでは出家もしないし、修行もしていないものが覚りを開いて仏に成るということは、あってはならない、そんなことあり得ないというのが当時の仏教の常識だったのです。法然上人や親鸞聖人にとって大切な『三部経』も、出家も修行もしない在家者は、死んで極楽浄土に生まれて、そこで仏に成ることができる。そのための方便が説かれている経典とされていたのです。この常識を打ち破ったのが法然上人、親鸞聖人です。どう打ち破ったのでしょうか。
     私たちはご縁によって成り立っていると、釈尊は覚りを開かれました。そして自分の思い通りに生きようとする私が、問い直されていく教えです。しかし、釈尊はその目覚めを、人々に伝えることを諦めたのです。自分の思い通りに生きようとしている人々に、自分の覚りによって得た「いのち」の事実を話しても、聞いてもらえないだろうと、説法不可能という絶望を感じたのです。そして自分の覚りは、自分だけで楽しむという思いに陥りました。そこへ(ぼん)(てん)(インドの神様)が現れ、絶望に陥っている釈尊に対して、どうか説法をしてほしいとお願いをするのです。どうしてこのような物語が出来上がったのでしょうか。
     それは釈尊の覚りが、釈尊個人のものではなく、あるいは努力や修行によって得るものでもなく、一切衆生がすでに、その覚りの世界を生きているからなのです。これが「いのち」の事実です。私たちが自分の思い通りに生きようと頑張っても、すでに生かされている「いのち」を生きている。それに逆らって生きているのです。ですから釈尊の覚りは、釈尊個人のものではなく、全人類のものなのです。それを、全人類を代表して梵天が説法をお願いしたという、神話的な表現で表されているのです。
     大乗経典が説かれるようになったのも、釈尊の覚りが、一切衆生にとっての覚りであるということの、必然的な経過なのです。すでに一切衆生は、釈尊の覚りによって明らかとなった「いのち」の事実を生きているのである。そのことに目覚めてほしいという願いを持ったのが、大乗経典に登場する菩薩たちなのです。その願いが、具体的に本願として説かれているのが、『大経』なのです。
     出家して、修行して、覚りを開くのではありません。もうすでに覚った教主釈尊がいるのです。その釈尊の教えに、納得するか納得しないかということなのです。もうすでに私たちは釈尊の覚りの世界に生きている。その覚りに出遇うということなのです。そのことに目覚めよと説いているのが大乗仏教なのです。それを(てら)(かわ)(しゅん)(しょう)先生は、「往生浄土の自覚道」という言葉で表現されております。法然上人、親鸞聖人によって顕かにされたのは、「そうだったのか」と、頷き納得して受け止める自覚道なのです。それを親鸞聖人は「信心」と仰いました。信心というのは、訳が分からずとも信じるということではないのです。納得して「そうであったな」と確信をする。それが親鸞聖人の言われる「信心」です。そのことは、『(たん)(に)(しょう)』に明確に説かれています。

    (み)(だ)の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、(きょ)(ごん)なるべからず。仏説まことにおわしまさば、(ぜん)(どう)(おん)(しゃく)、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、(しん)(らん)がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。(せん)ずるところ、(ぐ)(しん)の信心におきてはかくのごとし。

    (『真宗聖典』第1版 627頁)

    弥陀の本願が本当ならば、釈尊の仰ることは嘘ではない。であれば、善導の仰ることも、法然上人の仰ることも嘘ではない。ここに親鸞聖人の信心があるのです。覚りを開かれた釈尊の教え、その教えが説かれている本願に出遇って、頷き納得させてもらう。それを親鸞聖人は、信心という言葉で表現されているのです。また、『(きょう)(ぎょう)(しん)(しょう)』の、後序といわれる結びの言葉に、

    (しょう)(どう)の諸教は(ぎょう)(しょう)久しく(すた)れ、浄土の真宗は証道いま(さかり)なり()

    (『真宗聖典』第1版 398頁)

    とあります。出家仏教の、出家して修行して覚りを開いて、自力で仏になる「行証」は廃れて久しい。それに対して、法然上人がお説きになられる浄土の真宗は、いま現に覚りへの道を歩んでいる「証道」であり、いま盛んであると仰っています。浄土に生まれることは、そこで覚りを開いて仏と成るための方便であるという常識を打ち破って、往生成仏こそが真実であると、大きな転換を図ったのが、親鸞聖人の真宗なのです。

    仏の覚りに出遇う

     覚りとは自力で覚るものではなく、仏の覚りに出遇うことによって始まるという位置づけをされたのが、実は(りゅう)(じゅ)(ぼ)(さつ)なのです。
     大乗仏教になりますと、出家仏教は菩薩道となり、菩薩道には十の段階があって、その段階を登り詰めて、仏に成ると説かれるようになります。ところが龍樹菩薩は、一段階目の「初地」に立った瞬間に仏になれると、段階を登り詰めて仏に成る教えを否定したのです。そのことを、親鸞聖人が『正信偈』の中で、龍樹菩薩を讃えているお言葉から伺ってみたいと思います。

    大乗無上の法を(せん)(ぜつ)し、(かん)(ぎ)(じ)を証して、安楽に生ぜん、と。

    (『真宗聖典』第1版 205頁)

    とあります。菩薩の十地の最初の地を歓喜地、歓喜する地と言います。「生」は生まれるということではなく、「往生」という意味です。ですから、初歓喜地に立って、仏の覚りに出遇った瞬間、必ず安楽国に往生すると、龍樹菩薩は仰るのです。
     そして「歓喜」というのは、「未だ、得てはいないが、必ず得られるであろうことを、先だって喜ぶ」ことであると、親鸞聖人は説明しております。私たちがお覚りの世界へと往生していくことは、まだ実現していません。しかし、そうなっていくことは、間違いないことです。だから、先立って喜ぶということを「歓喜」と言うのです。そのように龍樹菩薩が仰っていると、親鸞聖人は了解されました。そしてその次に、

    弥陀仏の本願を(おく)(ねん)すれば、(じ)(ねん)(そく)の時、(ひつ)(じょう)(い)る。

    (『真宗聖典』第1版 205頁)

    とあります。これもそうですね。阿弥陀仏の本願を思い起こせば、自分の力ではなくて、必然的に即時に、仏の世界に身を置くことになるのです。「必定」とは、すでに仏の世界に身を置いていることへの確信です。寺川先生のお言葉で言えば「自覚道」です。「そうであった」と自覚したとき、すでに覚りの世界に身を置く者となる。そのことを最初に明示して下さったのが龍樹菩薩です。だから親鸞聖人は七高僧の一番始めに龍樹菩薩を讃嘆されているのです。

    心はすでに如来とひとし

    龍樹菩薩が顕かにした「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」ということを、親鸞聖人は「証道」と表現されました。そして証道の教えを顕らかにした法然上人のお念仏が、今は盛んであると讃えております。親鸞聖人は『(ご)(しょう)(そく)(しゅう)』の中では、そのことを、表現を変えて、このようにも仰っております。

    浄土の(しん)(じつ)(しん)(じん)の人は、この(み)こそあさましき(ふ)(じょう)(ぞう)(あく)の身なれども、心はすでに(にょ)(らい)とひとし

    (『真宗聖典』第1版 591頁)

     私たちは死ぬまで、死にたくないと、この世にしがみついている「不浄造悪」の身であるけれども、本願を通して「いのち」の事実に頷いた者は、如来と等しいのである。そう言い切られたのです。すごいお言葉です。
     浄土に生まれることは、仏と成るための方便ではなく、釈尊の覚りが実現されていく往生である。そのことを信じた人は、浅ましい不浄造悪の身であっても、心はすでに如来と等しいのです。
     これが、私たちがいただいている浄土真宗なのです。そのことを、私たちは共に聞法しあっていく世界が大事ではないかと思います。絶えず信心を揺るがす、不浄造悪の身が私たちです。だから常に聞法なのです。
     自分の思い通りに生きたい、愛したり憎んだり、仲良くしたり喧嘩をしたり。そういう生き方をしている私たちであっても、すでに「いのち」の事実に目覚めた如来と同じ「いのち」を生きているのであり、心は如来と同じだと言い切られたのが、親鸞聖人の教えです。そこに、今ある瞬間の「いのち」に深い感動を持つとともに、釈尊によって顕かにされた「いのち」の事実が、本願として私たちのうえに問いかけられているのです。それが浄土経典なのです。

    ※ダイジェストになりますので、本編をご覧になりたい方はこちらを参照ください。

    【2024年東京教区報恩講27日逮夜】

    https://youtu.be/xwXayQCmX7E?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=8946

    【2024年東京教区報恩講28日日中】

    https://youtu.be/PvjjBsx48rE?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=10088

    パート3へ続く

  • 「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(1)小川一乘 氏 

    「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(1)小川一乘 氏 

    去る2024年1月26~28日、真宗会館にて東京教区報恩講が勤修されました。
    逮夜法要(27日)および日中法要(28日)でお話しいただいた法話のダイジェストを掲載いたします。
    法話は、大谷大学名誉教授・小川一乘氏を御講師として、「『いのちの事実に目覚めよ』―親鸞聖人にとっての死―」をテーマに、お話しいただきました。  『Network9』2024年4月号より引用

    仏の覚りを共有する世界

     この度、東京教区の報恩講のご縁をいただきましたことに大変恐縮をしております。私は、実は最初から親鸞聖人の教えと向き合おうとしたのではなく、親鸞聖人が向き合われた仏教とは何かという視点から学びを始めました。そういう意味では、私が親鸞聖人と出遇う基本は、親鸞聖人が釈尊の覚りを、どのように身をもっていただかれたのかということになります。
     世界にはいろいろな宗教がありますが、仏教だけは他の宗教と違うのです。仏というのは、覚りを開いた者という意味です。覚りを開いて仏と成った釈尊の教えに出遇い、その「覚り」を私たちも共有して仏に成る教えというのが仏教の基本です。
     キリスト教では違います。キリストが説いた教えは、私たちが神になる教えではなく、神のもとで、どんな幸せを得ようかという話です。仏教は、私たち一人ひとりが仏になる教えです。釈尊の教えを共有する、これが仏教の基本的なことです。
     そこで今回は、「『いのち』の事実に目覚めよ」というテーマを掲げさせていただきました。私たちは、生まれたら必ず死んでいきます。親鸞聖人は、その「いのち」の事実にどのように目覚めて、自らの死をどのように引き受けていかれたか、という視点でお話ししていきたいと思います。

    「いのち」の事実に目覚める

     私たちは人生100年の時代を迎えて、自分の死ということについてあまり関心を向けていないように見えます。人の死を悲しんだり、涙を流したりはするけれども、「二人称の死」に留まってしまい、自分という「一人称の死」と向き合うことをしていないのではないでしょうか。これは長寿社会の特徴ではないかと思います。自分の死はまだまだ先のことだと思っているのです。
     しかし、ここ数年間の新型コロナによって、そうも言っていられない自分が見えてきました。コロナに感染することを恐れ、感染して死に至ることを恐れ、そして感染した人を恐れています。そこに自ずと差別や、排除や、様々な形の問題が作り出されています。そういう人間の在り方があからさまになってきたのではなかろうかと思います。
     私たちは、生まれたら歳をとりますし、ときには病気もします。そして、必ず命が終わっていく、これが当たり前なのです。この「生老病死」ということを、当たり前のこととして受け入れることができないのが、人間の生業(なりわい)ではなかろうかと思います。どうしてなのでしょうか。釈尊も今から2500年前に、生老病死に苦悩する我(自分)とは一体何者かということに向き合われました。ただ今生きているこの瞬間の「いのち」は、どのようにして成り立っているのだろうか。そこに、生老病死に苦悩する私がどのように関わっているのだろうか。そのことを問い続けたのが、釈尊の6年間の苦行だったかと思います。なぜ人間は生老病死に苦悩するのか、そこに存在している苦悩する自己とは、どのようにして成り立っているのか。それが顕(あきら)かになれば、生老病死に苦悩する私の存在も顕かになる。そこに、釈尊の覚りの出発点があったのです。では、ただ今この瞬間にあり得ている、私たちの「いのち」とは何なのでしょうか。

    縁起的存在としての私

     私は今ここでお話をさせていただいております。それは数限りないほどのご縁の中で、ただ今ここで拙い話をさせていただいているわけです。しかもここで話をしているこの私は、お聞きくださっている皆さんによって成り立っています。ここに誰もいらっしゃらなければ、私は話をしていません。今の私ではない別の私がいることになります。ここでお話をさせていただいているということは、私の力を超えて数限りないご縁の中で、成り立っているのです。そういう関係性によって成り立つ「いのち」を釈尊は顕かにしてくださったのです。
     この、関係性の中であり得ているという、その道理を釈尊は「縁起」と仰いました。大学院に入った頃、私がそのことをいただく大きなきっかけになった、あるご門徒のおばあちゃんがいました。そのおばあちゃんが亡くなる前の年、お盆のお参りに行きました。おばあちゃんは仏間の隣の部屋で、ぜいぜいと苦しそうに息をして寝ておられました。仏間で正信偈を拝読させていただく間も、おばあちゃんから聞こえてくる声はただお念仏だけです。そして帰りがけに下駄を履きかけた時、「若さん」と背中からおばあちゃんの声が聞こえました。「もったいのうございます。ありがとうございます」と言うのです。そして次に出てきた、背中に響いた言葉に、びっくりしたのです。「こんな苦しい思いをさせていただけるのも仏様から命をいただいたおかげでございます。もったいのうございます。なまんだぶつ」
     苦しむのは嫌です。病気になるのも、歳をとるのも嫌、死ぬのも嫌だと言っているのが私たちです。しかし、そういうことが言えるのは仏様から「いのち」をいただいているから言えるのです。様々なご縁によって生かされている私ということを、そのおばあちゃんは「仏様からいただいた命」と仰いました。「このおばあちゃんは仏様だ。いずれ寺の住職になるであろう私に最後の力を振り絞って説法をしてくださったんだ」と、下駄を履きながら涙がボロボロと出ました。念仏者の生き様に出遇って、親鸞聖人のいただいた仏教とはなんとすごい教えなのだと、身をもって納得させていただきました。それから、ひたすら仏教について真剣に取り組み、今の私がいるのではないのかなと思います。
     「仏様からいただいた命」と、おばあちゃんは表現しました。それを理屈的に言うと、私たちは「縁起的存在」であるということです。数限りないご縁によってただ今生かされている、その「いのち」に感動をもって生きる者となる。これが釈尊の教えの大事なところです。ただ今の、この瞬間の自己の「いのち」に感動を持てない者は念仏者とは言えないのです。こうはっきり言っていいと思います。念仏をいただいた者はただ今の瞬間、こんな苦しい思いをさせていただけるのも、「仏様からいただいた命」あればこそと、身をもって「いのち」を引き受けていくのです。

    ※こちらはダイジェストになります。本編はご覧になりたい方はこちらを参照ください。

    【2024年東京教区報恩講27日逮夜】

    https://youtu.be/xwXayQCmX7E?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=8946

    【2024年東京教区報恩講28日日中】

    https://youtu.be/PvjjBsx48rE?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=10088

    パート2へ続く

  • 「思いの丈を叫ぶ」

    「思いの丈を叫ぶ」

     獄中で死亡したロシアの反体制派指導者ナワリヌイ氏の妻、ユリヤさんが声明を発表する様子を、先日テレビで見た。その声明の中でユリヤさんは言う。夫が殺されたことで、自分は心身の半分を喪ったが、しかし、もう半分はまだ残っている。その残された半分が、決して諦めてはならないことを教えてくれる。自分は夫の活動を続ける、と。

     この言葉を聞いた時〝この思いなのかもしれない〟と感じた。宗祖親鸞が、師・法然を喪った際の思いに通ずるものがあるのではないか、と。

     私たちの認識としては、「真宗の宗祖は親鸞」である。しかし親鸞自身は、『顕浄土真実教行証文類(以下、教行信証)』に、「真宗興隆の大祖源空法師」(※源空=法然)と記している。「真宗の祖は法然だ」という。「正信偈」にも、「本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 真宗教証興片州」(本師・源空は、仏教に明らかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興す。)と述べられている。

     しかし史実が示す通り、1207年、吉水教団は弾圧を受け、法然・親鸞をはじめ、何人もの念仏者が流罪あるいは死罪となる。親鸞の悲しさ悔しさは如何ほどのものであったことか。師弟共に罪に処せられ、僧籍も剥奪された。師とは、再び生きて会うことは叶わなかった。もはや帰るべき吉水教団もない。しかし。しかしまだ、この身は残っている。師・法然を縁として仏の教えを受けたこの身が、まだ残っている。

     親鸞が晩年まで手を加え続けた『教行信証』執筆の動機が、「法然の教えが真実の仏法であることの証明」であることは、現在多くの研究によって明らかにされている通りである。

     その『教行信証』執筆より800年。弾圧に屈しない思いの丈を、今も、昔も、叫び続ける人たちが、ここにいる。

    『Network9(2024年4月号)より引用』田上 翼(茨城1組  一乘寺)

  • 「壁を作るのは私」

    「壁を作るのは私」

     今年の1月末に前住職が亡くなり、人との関わり方について考えることがある。私は人との関わりができているのだろうかという自問でもある。

     前住職は私の義祖父だ。30歳を過ぎて入寺し、それまでの親戚付き合いとは違い、深く前住職と関わるようになった。思春期の頃の出来事などを思い出すと、「とんでもない人間だ」という思いから否定的な態度が先に出てしまっていた。例えば前住職に何か聞きたいことができてしまった場合、勇気を出して声を掛けないといけない。身内間で神経を使うというのはなかなかしんどい話だ。本題に入りたいのに脱線が続き、こちらの聞きたいことがうやむやのまま解散したこともあった。そんなこともあり、あまりお近づきにならないようにしようと生活してきたのを考えると前住職との関係性は決して良好とはいえなかった。

     では問題は前住職にあるのだろうか。壁を作っているこちらが問題ではないか。相手を拒否することが悲しいことだと思いつつも、それでも否定せずにはいられない。なぜか。自分の価値観で量れないから。ではその価値観は間違いないのか。そんな私が相手をきちんと見えているのか。そうした自問だ。

     今号の特集取材で、「壁は外にはなかった、自分の中にあった」という言葉があった。編集作業中にハッとした言葉だ。私の自問に今回の特集から着眼点をいただいたように思う。前住職を通して私が問われているのだろう。亡くなってからしか気づけなかった。前住職には感謝とともに色々と複雑な思いは残るのだが。

     仏教に出遇って10年になるが、それまでの私では考えもしなかったことである。仏教に出遇ったら腹が立つと専修学院で言われたことを思い出した。わが身の事実を受けて素直に頷けない。それでも離れられない。

    『Network9(2023年7月号)より引用』小田 俊彦(茨城1組  等覺寺)

  • 「虫にもいのちがあるんだよ」

    「虫にもいのちがあるんだよ」

     どの園にも必ずいるであろう「虫大好きっ子」。年長児のAくんもそのひとりです。珍しい虫はもちろん、どこにでもいるようなものや、大人なら嫌がりそうなものでも「先生、あそこに〇〇がいた!」とうれしそうに報告してくれます。他の子どもたちもみんなわかっていて、虫を見つけるとまずは「Aくん、○○がいたよ!」と教えてくれます。

     大好きな虫を見ているだけでは物足りないAくんは、手で持ってみたり、虫かご代わりにおもちゃの小さな鍋に入れたりします。そんなとき、周りで見ている子に「かわいそうだから逃がしてあげよう。虫にもいのちがあるんだよ!」と言われることがあります。最初は「ぼくが見つけたんだよ」と言い返しますが、そのうち渋々と逃がしてあげることが多いです。Aくんにとって「虫にもいのちがあるんだよ」とは魔法のことばのようです。

     そんなやりとりを見ていてふと思いました。自分だったらどうだろうか。「虫にもいのちがあるんだよ」と言われて、腕にとまっている蚊を叩こうとしている手をおろすだろうか。キッチンで見つけたゴキブリに向けている殺虫剤をしまうだろうか。「刺されるとかゆくなるから」「気持ち悪いから」と自分の都合を優先してしまう私には、魔法のことばの効き目はなさそうです。

     「虫にもいのちがあるんだよ」と同じ理屈で「私にもいのちがあるんだよ」と言ってしまうと、このいのちは私の所有物のように思えてきます。そうすると「わたしがいのちを生きている」として、それを生かすも殺すも自分次第になってしまうでしょう。まず初めにいのちが存在して、いろいろなご縁で私がいるということ、そして、どんないのちであっても「生きよう生きよう」としている姿に目を向ける。そこから、いのちを奪いながら生きていくことの悲しみやいのちの尊さに気づくのではないでしょうか。
             『Network9(2024年2月号)より引用』雲乗 真樹(茂木保育園 園長)

  • 「あげはちょう」

    「あげはちょう」

     アソカ幼稚園はバス通りに面し、住宅に囲まれた所にあります。狭い園庭の中で、少しでも「自然」を感じられる場を作りたいと思うのですが、そんな私の思いとは裏腹に、子ども達はアリの動きを観察したり、だんご虫をケースに入れてみたり、きれいな石ころを発見したり。子どもにとっては「その環境」が「自然そのものなんだ」と思うと同時に、私が提供したいと思う「自然」とは、多くの木々や草花があり、それらが生きる川、海、山をイメージしてしまっている自分の思い込みの様でした。そんな事を思いながらも、私の頭は面白い事捜しに、目をキョロキョロさせていました。

     ある時、園から2軒先のお店と隣接地との10センチ程の間にイヌザンショウを発見しました。葉の裏にはキアゲハの黒い幼虫が8匹もついていました。早速、子ども達とお店に行き、お店の方に了解を得て、幹ごともらって来ました。小さな黒い幼虫は脱皮して、所謂、青虫(緑色の幼虫)になります。青虫になると食欲旺盛。葉を食べている間は、葉の所に居ますが、次のさなぎになる時には、都合の良い場所を捜しながら、あちこちと歩きまわります(5ミリ位のすき間でも出てしまいます)。各々がケースの好きな所でさなぎになり、その後、2週間程で羽化します。

     その日は年中組が外遊びをしていました。ケースを園庭に出すと、みんな集まって来ました。さなぎからちょうが生まれた事を話すと、誰からともなく ♬生まれたよー生まれたよーちょうちょの赤ちゃん生まれたよー♬ と、盆踊りで使っている「いのちのおともだち」の歌を歌い出しました。ケースのファスナーを開け、飛び立つ準備ができると「おめでとう!」と拍手。「元気でねー」「大きくなってねー」と、口々にその思いを声に出していました。子どもがちょうに願いをかけている姿に、私も願いをかけられている存在だと、改めて思い起こされたひとときでした。
               『Network9(2023年2月号)より引用』靍見 美智子(アソカ幼稚園)

  • 「慈しみの光の中で」

    「慈しみの光の中で」

     0歳児から就学前までの大勢のこどもたちと生活する中で、日々様々な出来事に出遇います。

     ある日、3人の年長児が、砂場の近くでカップを見つけました。カップには、砂が平らに詰め込まれていて表面はよく磨き上げられたようでツルツルしています。それを見た1人が、「カップ使いたいからこわしちゃおうか」と言いました。でも、それを聞いたもう1人が「つくった人が悲しむから、壊さずに置いておこう」と伝えました。3人はそのまま壊さず別のものを使って遊び始めました。

     私はその様子を見て、その場にいない、誰だか分からない、顔も見えない相手に思いを馳せることのできる素晴らしさに、心を揺さぶられました。

     園で生活する大人とこども。どうしても大人が主となって行動する構図をつくってしまう私です。でもこどもたちは、小さいながらも大人と同じようにいろいろな事象に出遇って、様々なことを感じ、思考を巡らせて生活をしています。「だめな人などひとりもいない」は、今は亡き前理事長の法話での口癖でした。

     一人一人が尊いひとであることを忘れず、心の内を覗きながら、遊びの中で、園生活の中で”その子らしく輝ける”ように心を働かせることが、私たち保育者の大切な仕事なのだと思います。

     創立から110年を過ぎた現在もお寺の境内に園舎を構えさせていただいています。大人もこどもも「ののさまの暖かな眼差し」を感じつつ、目には見えない大勢の方々に感謝しながら、ともに遊び、ともに育ちあっていける学び舎でありつづけたいと思います。
              『Network9(2022年12月号)より引用』髙松 里子(慈光幼稚園 園長)

  • 「建学の精神「和」の実践」

    「建学の精神「和」の実践」

     聖徳学園の建学の精神は聖徳太子の17条憲法第一条に由来する「和」をかかげています。本園は創立90年の幼稚園で、昨年園舎が新築され、新たな一歩を歩み出しました。

     300名近くの園児が高層ビルに元気な声を響かせていますが、子どもたちにとっての「和」とは、どのようなことかについて考えてみたいと思います。

     私達は子ども達に「友達と仲良く」「誰とでも仲良く」と求めてしまいますが、子どもたちが友達と仲良しになることはそんなに簡単なことではありません。

     3歳児のクラスの入園当初は一人一人が不安でいっぱいで、母親と離れること自体に危機感を感じています。友達の存在は自分には関わりのない状態です。しかし、何日か経つと少し落ち着いて先生のそばにいたり、自分の好きな遊具で遊び始めたりします。この時もまだ自分中心ですが、ふと泣いている子に目が向いて「お母さんに会いたいの」と問いかけたり、自分のハンカチで友達の涙を拭いたりして、関わりのきっかけが生まれ、友達との心の交流が生まれます。物の取り合いなどの喧嘩が4,5歳になると自分の考えを主張することによる喧嘩に変化していきます。

     それぞれの子どもが自分の感じ方、考え方を相手に伝え、お互いに受け止めることにより、自分とは違う感じ方や新たなものの見方を学び、自分の世界を広げていきます。そして、相手の良さや自分の良さに気付き、課題や問題に直面したときに協力したり、相手を思いやったりできるようになっていきます。

     「和」とは表面的な「なかよし」ではなく、深く相手を理解することではないでしょうか。幼稚園での生活が友達との関わりが深められるよう、子どもたちの主体的な遊びを大切にしていき、教師自身も幼児理解を深めていきたいと思います。
              『Network9(2024年4月号)より引用』塩 美佐枝(三田幼稚園 園長)