
宝物(ほうもつ)【掛軸】
毎年9月28日には安養軒において、正福寺と天野家によって報恩講が勤められている。当日は、天野家に伝わる什物が安置される。
住所:富士吉田市新倉585
お問い合わせ:TEL : 0555-22-0850
「永代供養をお願いしたいのですが」と寺院に来られる方が増えました。事情があり、お墓を継承することが難しくなり、ご相談される場合が多いようです。昨今は「墓じまい」という言葉も聞かれ、「永代供養墓」「樹木葬」という埋葬方法も増えてきました。そのようなときに、永代供養という言葉が「永代に亘ってご遺骨を預かり供養する」という意味で使われますが、そもそも、永代供養とはどのようなものなのでしょうか。また、浄土真宗の寺院では「永代経法要」という法要が勤められる場所もあります。ここでは「永代供養について」「寺院での永代経」「墓地のあり方」をお話しします
昨今では、ご遺骨を納骨する方法や期間として「 永代供養 」という言葉が使われており、「永代に亘ってご遺骨を預け供養してもらう」「寺院や墓苑に管理をしてもらう」という意味で使われる場合が多いのではないでしょうか。そもそも、永代供養とは、お亡くなりになった方へ向けて、生きている者が善根を積んで成仏するように、永代にわたって「追善供養」を僧侶にお願いすることでした。浄土真宗の教えでは、その「供養」を転じて、命終された大切な方を、阿弥陀仏の建立された浄土へ往生された諸仏として尊び、「南無阿弥陀仏」とお念仏を申すなかで、新たな再会をしていくことが、亡き人(諸仏)の側から願われていることを供養するという言葉の中身として受け取ってきました。私たちが何かをする前に、亡き方からの願いを聞く大切な機縁を「供養」として受け止め、そのような願いをずっと聞き続けることを「 永代供養 」と呼んでいます。
「墓じまい」という言葉が使われておりますが、墓地を各家や各人が管理することが難しい時代になり、墓地のあり方が変化しております。永代供養墓には、個別安置や集合安置、期間経過後は合葬するなど、様々なタイプがありますが、どのような場合においても、目の前の亡くなられた方のその姿を通じ、自身の姿を見つめなおす大事な機縁になることには変わりありません。様々な場所で永代供養墓が建立されておりますが、真宗大谷派の寺院にも多く建立されております。是非お問い合わせください。
※寺院検索は東京教区(1都8県)の真宗大谷派の寺院を調べることが出来ます。
浄土真宗の寺院では「永代経法要」を勤めることがあります。永代経とは、お経(仏の教え)が、この私にまで届けられたことを受け止め、それをつないでゆくための法要です。この永代経においてなされる御懇志は、伝えられてきた教えが、さらに次世代に受け継がれるために、また、その場(本堂など)の護持や教化に用いられます。また法要には、ご法話があります。お経(教え)のことばを私が聞くために法要が執り行われるのです。「亡き人を案ずる私が、亡き人から案ぜられている」という法語があります。亡くなった方のために経が読まれるのではなく、亡くなられたことの悼みや悲しみを通して、自分の歩んで往く道を共に教えられていく法要と考えます。
葬儀の後に勤められる「初七日(しょなのか)」。昔から大切な仏事として勤められており、ご存知の方も多いのではないかと思います。しかし、「初七日ってそもそも何だろう」「初七日はどのようなことをするのだろう」と尋ねられると、曖昧な方もいらっしゃるのではないでしょうか。ここでは、「初七日」とは何か、どのようなことをするのか、初七日法要に込められた願い、関連して「中陰(ちゅういん)」についてお話しいたします。
お亡くなりになった日を入れて 7 日目を「初七日(しょなのか)」といいます。また、お亡くなりになられて四十九日間のことを中陰(ちゅういん)といいます。七日ごとのお勤めを初七日(しょなのか)・二七日(ふたなのか)・三七日(みなのか)・四七日(よなのか)・五七日(いつなのか)・六七日(むなのか)、そして、七七日(しちしちにち)あるいは四十九日(しじゅうくにち)といいます。四十九日は、中陰が満ちたということで、満中陰(まんちゅういん)ともいいます。
「初七日法要をどのように勤めるの?」とのことですが、特に人を集めて勤めなければならない法要ではありません。しかし、地域によっては上記の七日ごとのお勤めを大切にされている地域もありますので、お手次ぎのお寺さまにお勤めいただき、亡き人からいただいたご縁を大切にし、教えにふれていただきたく思います。
また、葬儀告別式中に「繰り上げ初七日」と言って、初七日法要を組み込んでお勤めをされる方もいますが、本来は繰り上げてお勤めするものではありません。通夜葬儀は、一週間も待たずにお勤めされる場合がほとんどですから、実際の「初七日」までは、まだ日数があるわけです。けれど、葬儀告別式を終えて、すぐに初七日を迎えるわけですから、続けて参拝するのは大変だからと、いつの頃からか「繰り上げ初七日」をお勤めする習慣が定着してしまいました。葬儀告別式は葬儀告別式として丁寧にお勤めしてください。
四十九日(満中陰)までは、お内仏の近くに「中陰壇(ちゅういんだん)」を設けて、法名とご遺骨を安置します。
お墓のある方は、四十九日(満中陰)の前後に納骨を行う場合が多いようです。四十九日法要(御納骨法要)をお勤めした後、中陰壇は片づけます。納骨のお日にちに関しては、お手ぎのお寺さまとご相談ください。
インドから伝わってきた教えでは、死者は次の生まれ先が、7 回目の七日、つまり満中陰までに決まるという考え方がありました。仏教諸宗派では、その考え方に則り、亡き人がより良い生まれをされるようにと、供養(法要)をお勤めします。初七日をはじめとする七日毎の法要は、亡き人のより良い生まれのために勤められています。
しかし、浄土真宗においては、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏申す衆生(生きとし生けるもの)は、阿弥陀如来に摂(おさ)め取られる(阿弥陀如来の慈悲のなかに包まれています)という教えのため、死後の生まれ変わりのために法要をお勤めする道理はないのです。いのちある者は、朝、どんなに元気な姿を見せていても、その日の夕べには終えていくかもしれないいのちを生きています。いつ尽きるかわからぬいのち、限りのあるいのち、年齢順に死ぬわけではないいのちを、私たちは生きています。そのようないのちを生きているにもかかわらず、自身や身内の死はまだ先のことと、死を遠ざけて生活をしています。身近な人の死は、そのような生活をしている私の心を揺さぶります。先往く人は、いのちの相(すがた)を、わが身を持って示してくださっています。その相から何も感じることなく生きるのか、亡き人から大切なことを教えていただいたと感じ取って生きてゆくのか。
死への向き合い方で、これからの私の人生が大きく変わっていきます。