こんな自分は好きだけど、こんな自分は嫌い
昨日まで好きだった自分が、今日はなぜか嫌いな自分になっている
そんな自分が許せなくなって、また嫌いな自分になっていく・・・



慶讃テーマ周知フライヤー第1弾から引用 ダウンロードはこちらから
こんな自分は好きだけど、こんな自分は嫌い
昨日まで好きだった自分が、今日はなぜか嫌いな自分になっている
そんな自分が許せなくなって、また嫌いな自分になっていく・・・
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このたび、4/20(土)より、通信機器の故障により電話がつながらない状況が発生しておりましたが、さきほど復旧いたしました。大変なご不便をおかけしたことを心よりお詫び申しあげます。
4/20(土)より、通信機器の故障により電話がつながらない状況が発生しております。
御用の方はメールアドレス
東京教務所: tokyo@higashihonganji.or.jp
東京宗務出張所: prati@higashihonganji.or.jp
へご連絡をお願いします。
このたび、2024年1月1日以降に相次いで発生いたしております「令和6年能登半島地震」により亡くなられた方々に心より哀悼の意を表しますと共に、被災されたすべての方々に対しまして、衷心よりお見舞い申しあげます。
さて、去る1月及び2月に令和6年能登半島地震に対する救援金の勧募をご案内いたしましたところ、3月30日時点で20,055,801円(558件)の救援金をお寄せいただいております。当初は救援金の受付期間を2024年3月末日としておりましたが、被災状況が甚大であることから、2024年6月末までを期限として第2次の救援金勧募を行います。
つきましては、現在までの関係各位のご協力に衷心より御礼申しあげますとともに、引き続き、勧募にご協力賜りますよう再度ご依頼いたします。
〇東京教区での対応について
①第1次見舞金について
500万円を災害救援準備金会計より融通(仮払い)し、1月23日に教区会議長より宗務総長へ手交。
②第2次見舞金について
1300万円を3月25日に教区会議長より宗務総長へ手交。
③今後について
6月末までにお寄せいただいた救援金の内、第1次見舞金として融通した500万円を除く全額を本山へ送金する。
1 救援金の対象
令和6年能登半島地震
2 振込口座名
口座名:東京教務所義援金口座【口座記号・番号:00160‐6‐562299】
3 救援金勧募期間
2024年6月末まで (第2次締切)
東京教区『聖典学習会』を、6月3日(月)13時00分より開催いたします。
聖典学習会は、東京教区内の真宗大谷派教師及び寺族の教学研鑽を目的として開催します。
※聴講は寺族・門徒問わずどなたでも可能です。
【期日】
2024年6月3日(月)13時00分~17時00分頃
【講師】
青柳 英司 氏(親鸞仏教センター嘱託研究員)
【会場】
東本願寺 真宗会館/Zoom配信
【研修冥加金】
お一人1,000円
【申込締切】
2024年5月27日(月)まで
【申込方法】
こちらよりお申込みページへアクセスいただき、必要事項のご入力・研修冥加金のご納金をお願いします。
【メールの受信設定について】
過去に学習会へご参加いただいた方へ、開催案内メールをお送りさせていただいております。
案内が届かない場合、また、案内が不要な場合につきましては、下記をご確認の上、お手数ですがtokyo@higashihonganji.or.jpまでお問い合わせください。
また、お申込み後、当日の詳細やZoomの入室URLが記載されたメールが、開催日2日前までに届いていない場合につきましても、お手数ですが、真宗会館(担当:寺本・毛利)までお問い合わせください。
■事務局(東京教務所)からのメールが受信できるよう以下のご設定をお願いします。
※ドメイン指定をされている場合は、tokyo@higashihonganji.or.jpの@以降をご登録ください。
※受信メールの設定をされていない場合でも、ご利用の契約会社にて設定(迷惑メールフォルダに自動振り分け等)されている場合がありますのでご確認ください。
私が出遇った言葉は、「阿弥陀様のご利益は結論を与えないという反問性」と「意味を自分たちが生きる糧にしている」です。
まず「阿弥陀様のご利益は結論は与えないという反問性」ですが、「如来は自分の中に入らず対面するものであると教えるため、外にご本尊を持つ」とお聞きしました。たしかに自分が何かの拍子に確固たる信心を得たと思い込み、そのとき自分の心の中に浮かんだ声を阿弥陀如来が発させたものと思えば、他の宗教で言う神託のようにそれが絶対化され、疑念を抱かなくなってしまいます。
また、「人間は結論を持ちたい、安住したい」ともお聞きし、正に私のことだと思いました。問題は解決せずに抱えていると不安ですし、自分なりに苦悩して考えた解決策は、その後に間違っていたことに気づくのが嫌なので、それ以上考えることを極力しなくなります。これらのことから自分には阿弥陀如来のような答えを出すことはなく、自分が一度出した答えを握りしめて放そうとしない凡愚であることが言えます。今後は自分にもし、はっと気づかされるような、または雷に打たれるような感動があって出てきたものであり、本当にそうだろうかという疑念を大切にしたいと思います。
次に「意味を自分たちが生きる糧にしている」ですが、その言葉のとおり私を含め多くの人は、日頃の行動に自分なりの意味を持っています。意味のある行動を続ける理由は、日々の生活の維持や向上、大きな話では人生の目標を達成するためなどの様々な目的があるためだと思います。しかし、その目的についても、今の自分自身に聞きなおして、本当にそうなのか、という問い直しが日々必要なのだと感じました。前述したとおり、一度こうだと決めてしまうと、なかなか握った答えを放すことができないのが人間です。そして日々の行動がルーチン化してしまうと何も考えず行動してしまいます。人生の目標のような、自分にとってとても意味があるように思えるものこそ、ふとしたときに立ち止まって自分が進んできた足あとを見て自分に問い直すことが大事ではないかと思いました。
『Network9(2023年6月号)より引用』須賀 優(東京5組 道教寺)
東京教務所及び東京宗務出張所のゴールデンウィーク期間について、下記のとおり事務休暇とさせていただきます。
【東京教務所】
期 間:2024年5月2日(木)~2024年5月6日(月)
緊急連絡先:090-5760-4385
※連絡につきましては、緊急を要する事柄に限らせていただきます。
【東京宗務出張所】
期 間:5月3(金)6(月)は真宗会館完全休館とさせていただきます。
暮らしにじぃーんご利用者の皆様へ
このたび、暮らしにじぃーんウェブサイト内の寺院検索システムに発生した技術的問題により、大変なご不便をおかけしたことを心よりお詫び申しあげます。
現在、この問題は解決し、寺院検索機能が正常にご利用いただける状態に復旧いたしました。
※一部のユーザー様においては、携帯端末に不具合時のデータがキャッシュされているため、不具合が継続しているという報告を受けています。改善がみられない場合はご利用端末の設定より、ご利用のブラウザのすべての履歴データを削除していただくか、しばらく時間をおいてからアクセスいただくことで正常にシステムが機能いたします。
今後はよりいっそうシステムの監視と改善を強化し、暮らしにじぃーんを快適にご利用いただけますよう、サービスの向上に努めて参りたいと思います。
引き続き、当サイトをご利用いただけますことを心よりお待ちしております。
真宗大谷派 東京教区
【特集】「そもそも自分って本当に正しいのか」(1)・(2)に引き続きパート(3)となります。
藤森さんは写真に一言を添えた詩集『いろいろ問うてみる』(文芸社)を2021年に自費出版されており、シンプルでまっすぐな言葉と写真は読者に様々な思いを想起させます。
主にインドでの旅先で撮られた何気ない写真からは、欲望渦巻く現代社会で悩む私たちの課題を浮き彫りにしているように感じました。
今回の特集では、藤森さんがどのような縁で写真集を出そうと思ったのか、また旅先での出来事から自分自身が問われていることは何だったのかなどをお話いただきました。『Network9』2023年7月号より引用
藤森 和貴氏(東京7組 常願寺住職)
1986年、東京都文京区生まれ
初めて訪れた国インドに魅了され写真を撮り始める
主著に写真エッセイ集『いろいろ問うてみる』(文芸社)がある。
渋谷の街を歩いていた時に下を向いて咲いている花がありました。私は「花は上を向いて咲くものだ」と思っていたので変だなと感じて撮影しました。「異常、異常っていうけれど、そんな私は正常なのか」と。花は上を向こうが下を向こうが花は花ですよね。自分が勝手に異常と思っているけれども。異常ということは、裏を返せば自分は正常だということ。本当にそうなのか。そんな自分の常識というのが揺さぶられた出会いでした。
今回のNW9の表紙を依頼されたとき、最初は仏跡の写真や仏教のことばを入れた方がいいのかなと思いました。写真だけでしたらそれでも良かったのですが、写真とそれを撮った背景の言葉を大事にしたいと思いました。
この言葉は、ヒマラヤの山に行ったときの出来事から感じた言葉ですね。20日間くらいかけて、宿を転々としながらヒマラヤの山を進んでいました。一緒にスタートした人は、大体はみんな宿で一緒になるのです。周りはほとんど欧米人で、アジア人は私一人でした。欧米人はすぐにコミュニティを作っていました。それで、一緒にご飯食べようと誘われるのですが、自分はそれが嫌になる時があって断わることがありました。その時に「壁というのは自分の中にあるのだ」と感じました。要するに自分が壁を作っているのだと感じた言葉ですね。
また旅の中で、私が目的地に行く前に撮った写真の子と、目的地から帰ってきた時に撮った写真の子が同じだったということがありました。その時は同じ子だとは気付きませんでした。後から写真を見返したとき、首飾りや目元が一緒で同じ子だと気が付きました。最初に会った時は一人で悲しそうな感じだったのですが、帰ってきた時には3、4人くらいで、すごく楽しそうに遊んでいたので別人だと思っていました。要するに自分が勝手に思い込んでいただけで、その人の一面しか見ないで判断してしまう自分の危うさを感じさせられました。
―本日はお話しいただきありがとうございましたー 以 上
『いろいろ問うてみる』に関してのお問い合わせは、文芸社(TEL03-5369-3060)までお問い合わせいただくか、下のQRコードを読み込みください
【特集】「そもそも自分って本当に正しいのか」(1)に引き続きパート(2)となります。
藤森さんは写真に一言を添えた詩集『いろいろ問うてみる』(文芸社)を2021年に自費出版されており、シンプルでまっすぐな言葉と写真は読者に様々な思いを想起させます。
主にインドでの旅先で撮られた何気ない写真からは、欲望渦巻く現代社会で悩む私たちの課題を浮き彫りにしているように感じました。
今回の特集では、藤森さんがどのような縁で写真集を出そうと思ったのか、また旅先での出来事から自分自身が問われていることは何だったのかなどをお話いただきました。『Network9』2023年7月号より引用
藤森 和貴氏(東京7組 常願寺住職)
1986年、東京都文京区生まれ
初めて訪れた国インドに魅了され写真を撮り始める
主著に写真エッセイ集『いろいろ問うてみる』(文芸社)がある。
自分が初めて行ったインドで色んな価値観と出会う中で自分の正しさというものを疑うようになりました。そういう意味も含めて写真を通して自分がいろいろ問うているつもりが、最後には自分が問われているということに気が付きました。出遇いによって問いが生まれてくるということを書いたつもりです。この表紙はブッダガヤの前正覚山の近くで撮ったサルです。サルがお互いを見ているのが、お互いを問うているような感じがしたので表紙にしてもらいました。
そうですね。動物から多くの問いをもらっています。
ネズミから私の差別性が問われているように感じることがありました。私はそのネズミが踏み潰されて死んでいるのを、素通りしてしまうところでした。ですが、隣を歩く人は踏みつけられているネズミをみて驚いていました。自分たちの生活も知らず知らずのうちに何かを踏んでいて、踏んでいる側は気づかない。そういうことを感じさせられました。
また、本の中にたくさんのナマズが餌に群がっている写真があるのですが、その写真は欲望というものを表現しようとしました。
また、タイに行ったときに駅のプラットホームで休んでいた私にハエがたかってきました。最初は手で払っていたのですが、それでもたかってくる。そのとき〈生きている〉と感じさせられたのです。求められているというか、欲されているというか。そのとき初めて生きている実感を受けた出来事で、小さないのちから教えられるという思い出があります。日本にいるときはそんなことを考えないのですが、異国に行くと自分を見つめるというか、肌感覚が研ぎ澄まされるような感覚があります。
印刷の文字だけではなく、敢えて手書きでやらせてくださいとお願いしました。人間の欲望というのでしょうか、足りない足りない、もっともっとと、四方八方からの欲望というものを表現したくて、手書きで色んな方向から「もっと」という言葉を手書きしました。
また言葉では表現できない間のようなものを表現したくて、真っ白なページを途中に入れたかったのですが、それでは印刷ミスだと思われてクレームが来ることがあるらしいのです。だからちょっとでも言葉か何かを入れて欲しいと言われて、アイデアを出してもらい、白い見開きに点をいくつか入れて、間を表現しています。
『いろいろ問うてみる』に関してのお問い合わせは、文芸社(TEL03-5369-3060)までお問い合わせいただくか、下のQRコードを読み込みください