投稿者: 東京教務所

  • 【特集】「そもそも自分って本当に正しいのか」(1)藤森和貴氏インタビュー

    【特集】「そもそも自分って本当に正しいのか」(1)藤森和貴氏インタビュー

    藤森さんは写真に一言を添えた詩集『いろいろ問うてみる』(文芸社)を2021年に自費出版されており、シンプルでまっすぐな言葉と写真は読者に様々な思いを想起させます。
    主にインドでの旅先で撮られた何気ない写真からは、欲望渦巻く現代社会で悩む私たちの課題を浮き彫りにしているように感じました。
    今回の特集では、藤森さんがどのような縁で写真集を出そうと思ったのか、また旅先での出来事から自分自身が問われていることは何だったのかなどをお話いただきました。『Network9』2023年7月号より引用
     

    藤森 和貴氏(東京7組 常願寺住職)
    1986年、東京都文京区生まれ
    初めて訪れた国インドに魅了され写真を撮り始める
    主著に写真エッセイ集『いろいろ問うてみる』(文芸社)がある。

    ―この度は表紙の取材よろしくお願いいたします。藤森さんが仏教に出会ったご縁や、写真集を出そうと思ったきっかけをお聞かせくださいー

    仏教を学ばせていただいて、自分なりに色々考えて感じたことを文字や詩にして、写真と一緒にファイルに残していました。ちょうどコロナが流行りだしたころに、どこへも行くことができなくなって、そのファイルを見返していくうちに何か形にしたいなという思いがありました。時間ができたというのが本を作る一つのきっかけですね。

    大学を卒業してからすぐに法務を始めたわけではなくて、飲食業などをしていました。小さい頃は、法事や報恩講で父親と一緒にお参りをしていたのですが、物心がつくようになってからはお寺の行事に参加しなくなりました。22歳の時に父親が癌で亡くなりました。どんどん、どんどん父親が癌で弱っていって、最後は寝たきりの状態でした。父親から「お寺はどうするのか」といった内容のことを聞かれたのですが、自分はちょっと強がって「お寺は継がない。他にやりたいことがあるんだ」と言っていました。特にやりたいことは無かったんですけど、そんなことを言ってしまって、結局、「お寺を継ぐ」と伝える前に父は亡くなってしまったんです。

    父親から「お寺を継ぐ、継がないは別にして、仏教だけは学んでほしい」と言葉をかけられました。「仏教を学んで活き活きと生きてほしい」と言われて、それまで仏教は「お寺でお経を読む」とか、「お葬式にいく」というイメージしかなかったのですが、「活き活きと生きてほしい」ということは、仏教は「生き方」なのかなということを「ふっ」と思わされました。お寺を継ぐ、継がないは別にして「仏教を学んで活き活きと生きてほしい」という言葉が、心の中に残っていました。すぐに仏教の道には行かなかったですけど、父親が亡くなってから、色んな方のお話を聞いていくうちに、仏教を学んでみようとなりました。僕がインドにはまったのは同朋大学の先生の影響です。初めて行った外国がインドでした。

    ―インドのどういうところに衝撃を受けましたかー

    すべてといいますか、そこかしこに牛は歩いているし、色々な人がいます。たとえば日本の映画館では誰も話さないで観るというのが当たり前ですが、インドでは真逆で、俳優が出るたびに盛り上がったり、電話をしたりとうるさいのですが、それが常識です。その真逆の世界を感じられたのは、すごく好奇心を掻き立てられました。それまでは日本の価値観しか知らなかったので、もっと広い世界があるのだなと感じさせられたのが初めてインドに行ったときです。

    年に何回かインドなどに行きますが、インドから帰ってくると東京とは違う時間の流れを感じます。インドは時間がすごい緩やかに流れていますね。働き方とかもすごい緩やかで、色々考えさせられます。インドでは列車が10時間遅れることが日常です。インドにいると遅延しても待てるんですけど、東京に帰ってくると1、2分電車が遅れただけでイライラしている自分がいます。自分の置かれた環境によって受け取り方がどっちにも変わるんだと気付かされました。

    『いろいろ問うてみる』著書

    ¥1500+税                   

    『いろいろ問うてみる』に関してのお問い合わせは、文芸社(TEL03-5369-3060)までお問い合わせいただくか、下のQRコードを読み込みください

    パート2はこちら

  • 【特集】ご門徒さんと考えるお寺の防災について(3)  星野暁氏(同朋社会推進ネットワークチーフ)インタビュー

    【特集】ご門徒さんと考えるお寺の防災について(3) 星野暁氏(同朋社会推進ネットワークチーフ)インタビュー

    ご門徒さんと考えるお寺の防災について(1)、ご門徒さんと考えるお寺の防災について(2) に引き続きパート3となります。

    今年は関東大震災から100年という節目の年にあたります。また大震災が発生した9月1日は、「防災の日」と定め災害対策を見直すうえで、大切な機縁となっています。
    ここ30余年の間にも、大きな地震が毎年のように発生している日本列島。そして近い将来南海トラフ巨大地震をはじめ、私たちがこれまで直面したことのない大規模な震災が必ず起こるだろうと言われています。
    さらには地震だけでなく、温暖化に起因する集中豪雨や大型台風などの深刻な自然災害も枚挙に暇がないほど、全国各地で頻発している状況です。そんな中で、私たちは来たる災害とどう向き合い、どのように備えていけばよいのでしょうか。
    そこで「お寺の防災について」をテーマに、真宗大谷派東京教区内部署「同朋社会推進ネットワーク」で様々な社会問題に取り組み活動され、防災に詳しい 星野暁(ほしのさとし)氏(茨城県・浄安寺住職)にお話を伺います。『NetWork9』2023年9月号より引用

    星野暁(ほしのさとし)氏(茨城県・浄安寺住職)                                             

    平時のつながりの大切さ

    お寺という、公共性がある場所ということを考えると、やはり地域の人びとにもお寺を開いて使えるようにしていかなければならないという思いをより強くしました。実際に何か災害が起きたとき、お寺で炊き出しをして「ご飯どうぞ」と言っても、たとえ近所の人でも、普段からあまり関わりがないと受け取りにくくなってしまいます。
    それをどうにかしたいという思いもあり、2年ほど前、毎月28日の御命日の集いが、コロナの影響で座談会ができなくなったことを機に、バザーのようなことをしたいという話になりました。そこから現在では毎月28日の午後から、お弁当屋さんのお惣菜や、ご門徒さんが作ったお野菜などを境内に並べて、近所の人に販売するということをやっています。その時に、50食ほどの炊き込みご飯を毎回作っていて、それを「住職手作りの炊き込みご飯」として配っています。ありがたいことに、おいしいと好評なんです。普段何もやっていないところで急に炊き出しをやってみても受け入れてもらえるか分からないですが、そうやって住職が作っているものが普段から食べられていると認知していただくと、食に対する信頼が得られるのだと思います。
    お寺というと敷居が高いと言われるけれど、そういう日頃からの関係を作っておけば、もし何かがあったときに、お寺が頼れる場所だと認知してもらえるようになると思います。

    「28にち市」の様子                                                         

    まずは自分にできることを

    ただ、これは余力があるお寺は準備したらいいということで、必ずしもしなければいけないということではないと思います。やることが良いとか悪いとか、そんなことでは無く、余力があったらやれば良いということです。みんながみんなできる事ではないので。
     『寺院のための災害対策ハンドブック』を見ていると、ここに書いてあることを全部やらなければいけないのかという話に、みなさん思われてしまうのですが、全部というのはなかなかできるものではないので、どんなお寺でもこの中のたった一部分でいいから、できることからやっていければいいのです。
    たとえばうちの場合、決めていることが一つあります。お寺を避難所として開放しようと思っているのですが、東日本大震災の時に、小さい子どもを抱えたお母さんが避難所で「うるさい」と文句を言われ、行き場がなく不安で仕方がなかったというお話を聞きました。そこで、うちの寺が無事だった時は、小さな子どもを抱えている人たちの避難所として開放しようということにしました。元々お寺で子ども会もやっていて、子どもの玩具なども普段から置いてあるし、それで限定にしよう、それでもどうしても来たい人には、ここは小さい子ども中心の場所だよって言ってしまえばいいわけです。保護者同士であれば、一人の保護者が何人かの子どもを見て、手が空いた方と一緒に炊き出しもできるという発想もありました。

    子ども会の活動も大切な平時のつながりに                                          

    災害の時に何かそういう「したいこと」というのが一つあったとしても、「できること」というのは、なかなかそういう環境がないとできるようにはならない。日ごろからの準備、お寺と地域の人との平時のつながりがあって、あとはこちらに余裕があればできることなのだと思います。ある程度こちらも準備をして余裕を持っておかないと、いくらやりたいという気持ちがあっても、大きな災害が起きた時に準備がなければ、やりたくてもできない。ある程度準備や心づもりをしておけば、できることも少し広がるというところで、お寺というのはそういうことが可能になる現実的な場所なのだと思います。

    以 上

    「※同朋社会推進ネットワーク」

    同朋社会推進ネットワークとは、今から20年ほど前に、世に起きる様々な社会問題に対し、迅速に動ける部署が必要との趣旨から、真宗大谷派東京教区内に「同朋社会推進ネットワーク」が立ち上がりました。性差別の問題、非戦平和の問題、それとボランティアの問題を三本柱に3つのチームを作り活動をしてきました。更に、災害や自死の問題もあり、グリーフケアを学ぼうということにもなって現在に至っております。

  • 「帰敬式を受式しませんか?」と勧められましたが、帰敬式ってなに?

    「帰敬式を受式しませんか?」と勧められましたが、帰敬式ってなに?

    お釈迦さま(仏陀)の教えに出会い、お釈迦さまの弟子(仏弟子)となる儀式です。得度は出家して僧侶になることですが、同じように門徒として浄土真宗の教えの中に生きていくことを誓う大切な儀式を「帰敬式(ききょうしき)」といいます。おかみそりを受け、「釋○○」または「釋尼○○」という法名をいただきます。
    仏法を依り処(よりどころ)として生きていく、その覚悟と自覚をもって新たな一歩を歩みだす大切な儀式と言えます。では、仏法を依り処とする生き方とはどのようなものなのでしょうか。法名をいただく意味とは何でしょうか。いっしょに考えてみましょう。

    帰敬式はどのようなことをするのですか?

    図は帰敬式の式次第の一例となっています。聞きなれない言葉が出ていますが、儀式がどのような願いのもとに執り行われているかを感じ取っていただければと思います。

    みんなで唱える「三帰依文」とは何ですか?

    式では、ご本尊・阿弥陀如来の前で「三帰依文」という誓いの言葉を全員で唱和します。三帰依文とは、仏宝(ぶっぽう)・法宝(ほうほう)・僧宝(そうほう)3つ「三宝(さんぼう)」を依り処として生きていきます(帰依する)という仏教徒としての誓いの言葉なのです。

    今から約2500年前、お釈迦さまが生きておられたころ、インドの人々はこの三帰依文を唱えて、お釈迦さまの弟子として入門の儀式を行ったと伝えられています。以来、広く世界の仏教徒によって大切に唱え継がれております。日本においてもこの三帰依文は浄土真宗だけではなく、仏教の各宗派で共通のものとなっています。

    この三帰依文の〈仏宝〉とは真実に目覚められた人、お釈迦さまのことです。お釈迦さまをみ仏と敬って「仏に帰依したてまつる」と唱えます。〈法宝〉「法に帰依したてまつる」の「法」はお釈迦さまが説かれた南無阿弥陀仏、お念仏の教えのことです。〈僧宝〉「僧に帰依したてまつる」の「僧」とは、僧侶ということではなく、南無阿弥陀仏によってご縁をいただいた人々の集まり「僧伽(さんが)」のことを指し、親鸞聖人は「御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎょう)」として、とても大切にされてきました。
    つまり三帰依文は、み仏であるお釈迦さまを敬い、その説かれたお念仏の教えを大切に守り、そしてその教えを学ぶ人々の集まりを大切にいたしますとご本尊の前で誓い、確かめていくことが表現されています。

    おかみそり(剃刀の儀)では本当に髪を剃るのですか?

    帰敬式は別名「おかみそり」(剃刀)とも呼ばれています。剃刀(ていとう)の儀では、実際に髪を剃るわけではありませんが、頭に三度剃刀を当て、執行する者が「南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧」(仏・法・僧の三宝に帰依しなさいの意)と唱えます。受式者は法名を授かるにあたり、三帰依を唱和します。これを剃刀の儀と言います。
    また、「おかみそり」については「切っても切っても」生えてくる髪の毛を、「払っても払っても」湧いてくる煩悩になぞらえ、煩悩の象徴ともいえる髪を落とし、仏弟子となる歩みを始めるという意味があります。
    真宗門徒にとって、剃刀の儀には、煩悩の象徴である髪を剃り落とすというよりも、私たちが抱えている悩み苦しみの元となる煩悩の存在を「しっかり確かめる」という意味があるのです。それは同時に、仏法僧に帰依する仏弟子として、歩みを始めていく覚悟を確かめる重要な儀式でもあるのです。

    法名とは? 戒名とは何が違うのですか?

    浄土真宗では〈戒名〉ではなく〈法名〉といいます。

    〈法名〉の付け方
    〈法名〉は男性の場合は「釋○○」、女性の場合は「釋尼○○」とお付けします。
    親鸞聖人が自ら「釋親鸞」と名告られて以来、浄土真宗の〈法名〉には「釋」の字が入ります。
    この「釋」はお釈迦様の「釋(釈)」をあらわし、仏弟子として生きることを示しています。女性の場合は「尼」を伝統的につけております。これはサンスクリット語の女性の出家者を表す言葉の語尾に由来します。

    どこで受式出来るのですか?

    京都にある東本願寺(真宗本廟)は勿論のこと、日頃、ご縁のある真宗大谷派のお寺でも受式することが出来ます。
    受式を希望される方は、ご縁のある真宗大谷派のお寺または、下記の一覧にご相談ください。
    お寺にご縁のない方は、寺院検索(東京教区)または、下記にある教務所へお問い合わせください。

    (参考動画)「帰敬式法座」YouTubeにて公開中

    帰敬式法座は、浄土真宗の教えや、親鸞聖人のご生涯、法名をいただく意味など、先生のお話を手掛かりに確かめていく法座です。これから帰敬式を受式される方、すでに受式される方もご視聴いただき、ご寺院の同朋の会、帰敬式執行の際にもご活用ください。

    ※本山での受式を希望される方はこちら

    ※各教区の教務所の連絡先はこちら

  • 【特集】ご門徒さんと考えるお寺の防災について(2)  星野暁氏(同朋社会推進ネットワークチーフ)インタビュー

    【特集】ご門徒さんと考えるお寺の防災について(2) 星野暁氏(同朋社会推進ネットワークチーフ)インタビュー

    ご門徒さんと考えるお寺の防災について(1) に引き続きパート2となります。

    今年は関東大震災から100年という節目の年にあたります。また大震災が発生した9月1日は、「防災の日」と定め災害対策を見直すうえで、大切な機縁となっています。
    ここ30余年の間にも、大きな地震が毎年のように発生している日本列島。そして近い将来南海トラフ巨大地震をはじめ、私たちがこれまで直面したことのない大規模な震災が必ず起こるだろうと言われています。
    さらには地震だけでなく、温暖化に起因する集中豪雨や大型台風などの深刻な自然災害も枚挙に暇がないほど、全国各地で頻発している状況です。そんな中で、私たちは来たる災害とどう向き合い、どのように備えていけばよいのでしょうか。
    そこで「お寺の防災について」をテーマに、真宗大谷派東京教区内部署「同朋社会推進ネットワーク」で様々な社会問題に取り組み活動され、防災に詳しい 星野暁(ほしのさとし)氏(茨城県・浄安寺住職)にお話を伺います。『NetWork9』2023年9月号より引用

    星野暁(ほしのさとし)氏(茨城県・浄安寺住職)                                            

    東日本大震災では自身も被災

    2011年の東日本大震災のときには、みんなのために炊き出しをしようとしたのですが、備蓄してあったペットボトルの水だけでは到底できませんでした。お寺に井戸があるのですが、電動のポンプでくみ上げる仕組みでしたので、電気が止まると水が出てきません。幸い薪はあったので、細々とした炊き出しを近所の方に配ることができました。そうした経験から、とにかく水が必要だなと思いました。そして意外と困ったのが安否連絡、これが大変でした。今はLINEなどで「既読」が付けば相手が「存命」だというのがわかりますが、当時はまだありませんでした。広域災害の時は電話が使えず、電気などライフライン全てが止まります。被災時は、まず水と食べ物という発想になりがちだけど、私の地域では食べ物は備蓄があるし、明かりもロウソクならお寺にあります。でも、とにかく連絡がとれないというのが、一番大変だと思いました。その反省から、デジタル簡易無線を購入しました。長いアンテナを立てると30~40キロ離れたところと交信ができます。


    国の地震調査研究推進本部によると、30年以内に震度6弱以上の地震が発生する確率が東京都内で74.2%、茨城の水戸になると80.6%になっています。そのため、また起きるだろうという想定で準備しておかなければいけないという思いが強くなりました。また地域によっては下水が3カ月も使えないことがありました。トイレで用を足しても流せないのです。そのときは、便器の中に新聞紙を入れてその上でする、それをビニール袋で二重にして出すように市からの指示がありました。しかし、中には心理的な抵抗があって用が足せず便秘になる人もいたため、簡易トイレをたくさん備蓄しました。

    取材時の様子。様々な体験田を聞かせていただきました。                                            


    また、阪神・淡路大震災(1995)や中越地震(2004)の時の個人的な経験も役に立ちました。どういうことかというと、自宅から離れた場所で被災した場合、大きい橋はしばらく時間が経つと交通規制がかかって渡れなくなります。時間はかかりますが、できるだけ小さい橋、上流の川を渡って帰るのが良いということです。
    ガソリンが無くなるのもわかっていたので、携行缶も常備しています。うちの周りの地域は古い町で、高齢者が多くいます。給水所まで遠いのがわかっていたので、お寺の設備を充実させて、いつでも分けられるように2リットルの空きペットボトルをたくさんストックしております。電気が止まると、回復するときに通電火災が起こることがあります。電気が使えない時は、ブレーカーをすぐ落とすことも忘れないでください。テレビなどでは、避難するときに車を捨てて逃げるように言われています。都内ではそこまでではないけれども、地方では車が無いほうが無謀に感じます。車には情報源のラジオがあるし、充電や暖がとれるため重要です。その他、十徳ナイフや、100円ショップで購入できる小さな携帯ライトも重宝しました。尖ったものが無いとビニール包装などは開けることも困難です。常に携帯していると銃刀法等で問題になる可能性もありますが、必要な道具だと感じました。また被災後に、門徒さんのお家の屋根が壊れ、雨漏りを心配してホームセンターへブルーシートを買いに行ったら、すでに売り切れていて困っていました。そこで、みんなにはあげられないけれども、と寺にあったものを渡したら、涙を流して喜んで帰っていきました。被災後は、ブルーシート1枚でも涙を流すほど助かることがあると知りました。そういう意味ではお寺という場所は可能性がたくさんあります。

    「※同朋社会推進ネットワーク」

    同朋社会推進ネットワークとは、今から20年ほど前に、世に起きる様々な社会問題に対し、迅速に動ける部署が必要との趣旨から、真宗大谷派東京教区内に「同朋社会推進ネットワーク」が立ち上がりました。性差別の問題、非戦平和の問題、それとボランティアの問題を三本柱に3つのチームを作り活動をしてきました。更に、災害や自死の問題もあり、グリーフケアを学ぼうということにもなって現在に至っております。

    パート1はこちら

    パート3(最終)はこちら

  • 2024年 真宗本廟 春の法要の勤修について

    2024年 真宗本廟 春の法要の勤修について

    4月1日から4日まで、真宗本廟(東本願寺)において、春の法要が勤まります。
    聖徳太子・七高僧をはじめ本願念仏のみ教えを伝えられた師主知識の恩徳を讃える「師徳奉讃法要」、親鸞聖人のご生誕をよろこぶ「親鸞聖人御誕生会」、歴史に学び平和の願いを確かめる「全戦没者追弔法会」などの法要を「春の法要」と称して勤めています。
    また今年は、第9代実如上人の500回忌の法要も勤修されます。
    ぜひ皆様お誘い合わせのうえご参拝ください。

    YouTube「真宗大谷派公式チャンネル」においても、春の法要ライブ配信を実施します。

    詳細はこちら

  • 【特集】ご門徒さんと考えるお寺の防災について(1)  星野暁氏(同朋社会推進ネットワークチーフ)インタビュー

    【特集】ご門徒さんと考えるお寺の防災について(1) 星野暁氏(同朋社会推進ネットワークチーフ)インタビュー

    今年は関東大震災から100年という節目の年にあたります。また大震災が発生した9月1日は、「防災の日」と定め災害対策を見直すうえで、大切な機縁となっています。
    ここ30余年の間にも、大きな地震が毎年のように発生している日本列島。そして近い将来南海トラフ巨大地震をはじめ、私たちがこれまで直面したことのない大規模な震災が必ず起こるだろうと言われています。
    さらには地震だけでなく、温暖化に起因する集中豪雨や大型台風などの深刻な自然災害も枚挙に暇がないほど、全国各地で頻発している状況です。そんな中で、私たちは来たる災害とどう向き合い、どのように備えていけばよいのでしょうか。
    そこで「お寺の防災について」をテーマに、真宗大谷派東京教区内部署「同朋社会推進ネットワーク」で様々な社会問題に取り組み活動され、防災に詳しい 星野暁(ほしのさとし)氏(茨城県・浄安寺住職)にお話を伺います。『NetWork9』2023年9月号より引用

    実際の活動を通して気づいてきたこと

    2007年に発生した新潟県中越沖地震、翌日には現地に向かいました。役場など現地混乱の中、渡された地図を頼りに翌朝、避難所に行くことができました。その2日の間で、大きな地震が起こると橋や道がダメになるとか、水や電気が止まるということを目の当たりにしました。災害直後はこういうことが起こるのだと実感しました。
    また、自分のところで災害が起きたときのために何を準備しておくべきか考えました。結局はたいした準備はできていなかったのですが、車のガソリンはなるべく常に満タンでいるよう心掛ける。水や食料もある程度備蓄をする。
    まず人に何かをするというよりは、自分や自分の家族を守らなくてはと思ったのです。そういう自助があったうえで、余裕があれば共助となっていくわけですから。

    先日、同朋社会推進ネットワークで「災害演習」を開催しました。講師の岸田理 氏(東本願寺ボランティア委員会委員)のお話は非常に有意義で、新しい視点をたくさんいただきました。
    その中で「自分を守ったら一人守ったということだよ」と何度もおっしゃられていたことが印象的で、まず自分を助けるのだという視点を忘れていたと気づきました。だからこそ日頃からちょっとした準備と知識と、家族との「こういうときはこうしよう」といった意識共有があれば、自助ということはやりやすいのかなと思います。それができていれば、お寺での共助という形にもなります。また、地域の人たちとのつながりがあれば、共助の輪が広がっていくわけです。お寺というのはそういった可能性があるところなのです。

    「※同朋社会推進ネットワーク」

    同朋社会推進ネットワークとは、今から20年ほど前に、世に起きる様々な社会問題に対し、迅速に動ける部署が必要との趣旨から、真宗大谷派東京教区内に「同朋社会推進ネットワーク」が立ち上がりました。性差別の問題、非戦平和の問題、それとボランティアの問題を三本柱に3つのチームを作り活動をしてきました。更に、災害や自死の問題もあり、グリーフケアを学ぼうということにもなって現在に至っております。

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  • 2024年東京教区報恩講のYouTube配信について

    2024年東京教区報恩講のYouTube配信について

     このたび、2024年1月26日(金)から28日(日)まで、東京教区報恩講が勤修されます。
     つきましては、27日・28日はYoutubeにて配信いたしますので、ぜひご視聴ください。
     なお、26日の帰敬式については配信しませんので、予めご承知おきください。

     1月27日(土)逮夜法要 【配信開始】12:15~

     1月27日(土)通夜説教 【配信開始】16:15~

     1月28日(日)晨朝法要 【配信開始】 7:45~

     1月28日(日)日中法要 【配信開始】11:45~

    教区報恩講特設ページはこちら