カテゴリー: 仏事

  • 「帰敬式を受式しませんか?」と勧められましたが、帰敬式ってなに?

    「帰敬式を受式しませんか?」と勧められましたが、帰敬式ってなに?

    お釈迦さま(仏陀)の教えに出会い、お釈迦さまの弟子(仏弟子)となる儀式です。得度は出家して僧侶になることですが、同じように門徒として浄土真宗の教えの中に生きていくことを誓う大切な儀式を「帰敬式(ききょうしき)」といいます。おかみそりを受け、「釋○○」または「釋尼○○」という法名をいただきます。
    仏法を依り処(よりどころ)として生きていく、その覚悟と自覚をもって新たな一歩を歩みだす大切な儀式と言えます。では、仏法を依り処とする生き方とはどのようなものなのでしょうか。法名をいただく意味とは何でしょうか。いっしょに考えてみましょう。

    帰敬式はどのようなことをするのですか?

    図は帰敬式の式次第の一例となっています。聞きなれない言葉が出ていますが、儀式がどのような願いのもとに執り行われているかを感じ取っていただければと思います。

    みんなで唱える「三帰依文」とは何ですか?

    式では、ご本尊・阿弥陀如来の前で「三帰依文」という誓いの言葉を全員で唱和します。三帰依文とは、仏宝(ぶっぽう)・法宝(ほうほう)・僧宝(そうほう)3つ「三宝(さんぼう)」を依り処として生きていきます(帰依する)という仏教徒としての誓いの言葉なのです。

    今から約2500年前、お釈迦さまが生きておられたころ、インドの人々はこの三帰依文を唱えて、お釈迦さまの弟子として入門の儀式を行ったと伝えられています。以来、広く世界の仏教徒によって大切に唱え継がれております。日本においてもこの三帰依文は浄土真宗だけではなく、仏教の各宗派で共通のものとなっています。

    この三帰依文の〈仏宝〉とは真実に目覚められた人、お釈迦さまのことです。お釈迦さまをみ仏と敬って「仏に帰依したてまつる」と唱えます。〈法宝〉「法に帰依したてまつる」の「法」はお釈迦さまが説かれた南無阿弥陀仏、お念仏の教えのことです。〈僧宝〉「僧に帰依したてまつる」の「僧」とは、僧侶ということではなく、南無阿弥陀仏によってご縁をいただいた人々の集まり「僧伽(さんが)」のことを指し、親鸞聖人は「御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎょう)」として、とても大切にされてきました。
    つまり三帰依文は、み仏であるお釈迦さまを敬い、その説かれたお念仏の教えを大切に守り、そしてその教えを学ぶ人々の集まりを大切にいたしますとご本尊の前で誓い、確かめていくことが表現されています。

    おかみそり(剃刀の儀)では本当に髪を剃るのですか?

    帰敬式は別名「おかみそり」(剃刀)とも呼ばれています。剃刀(ていとう)の儀では、実際に髪を剃るわけではありませんが、頭に三度剃刀を当て、執行する者が「南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧」(仏・法・僧の三宝に帰依しなさいの意)と唱えます。受式者は法名を授かるにあたり、三帰依を唱和します。これを剃刀の儀と言います。
    また、「おかみそり」については「切っても切っても」生えてくる髪の毛を、「払っても払っても」湧いてくる煩悩になぞらえ、煩悩の象徴ともいえる髪を落とし、仏弟子となる歩みを始めるという意味があります。
    真宗門徒にとって、剃刀の儀には、煩悩の象徴である髪を剃り落とすというよりも、私たちが抱えている悩み苦しみの元となる煩悩の存在を「しっかり確かめる」という意味があるのです。それは同時に、仏法僧に帰依する仏弟子として、歩みを始めていく覚悟を確かめる重要な儀式でもあるのです。

    法名とは? 戒名とは何が違うのですか?

    浄土真宗では〈戒名〉ではなく〈法名〉といいます。

    〈法名〉の付け方
    〈法名〉は男性の場合は「釋○○」、女性の場合は「釋尼○○」とお付けします。
    親鸞聖人が自ら「釋親鸞」と名告られて以来、浄土真宗の〈法名〉には「釋」の字が入ります。
    この「釋」はお釈迦様の「釋(釈)」をあらわし、仏弟子として生きることを示しています。女性の場合は「尼」を伝統的につけております。これはサンスクリット語の女性の出家者を表す言葉の語尾に由来します。

    どこで受式出来るのですか?

    京都にある東本願寺(真宗本廟)は勿論のこと、日頃、ご縁のある真宗大谷派のお寺でも受式することが出来ます。
    受式を希望される方は、ご縁のある真宗大谷派のお寺または、下記の一覧にご相談ください。
    お寺にご縁のない方は、寺院検索(東京教区)または、下記にある教務所へお問い合わせください。

    (参考動画)「帰敬式法座」YouTubeにて公開中

    帰敬式法座は、浄土真宗の教えや、親鸞聖人のご生涯、法名をいただく意味など、先生のお話を手掛かりに確かめていく法座です。これから帰敬式を受式される方、すでに受式される方もご視聴いただき、ご寺院の同朋の会、帰敬式執行の際にもご活用ください。

    ※本山での受式を希望される方はこちら

    ※各教区の教務所の連絡先はこちら

  • 報恩講ってどんな行事?どのようなことをするの?

    報恩講ってどんな行事?どのようなことをするの?

    「報恩講」という言葉をご存知でしょうか。浄土真宗では年間に様々な法要を勤めておりますが、その中で最も大切な仏事として、報恩講を勤めております。京都にある本山や各地の別院、全国にある9,000ヶ寺で勤め、多くのご門徒とご一緒にお参りをしております。ここでは、報恩講とはどのような願いをもった法要なのか、どのように勤めているのかをご紹介します。

    報恩講ってどのような法要なの?

    浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、1262(弘長2)年11月28日に90歳の生涯を終えられました。阿弥陀如来、親鸞聖人をはじめ、念仏の教えに生きられた先達に思いを馳せ、その恩徳に感謝し報いるための法要が、報恩講です。お念仏の教えを聴聞し、自らの生活を振り返るときとして、真宗門徒にとって「1年は、報恩講に始まり、報恩講に終わる」と言われるほど、1年で最も大切な仏事なのです。全国各地の寺院・教会をはじめ、ご門徒の家々においても勤められており「お取越」や「お引上」の名で親しまれています。「お取越」とは、親鸞聖人のご命日が巡ってくる前に取り越して勤めることからそう呼ばれており「お引上」も同様の意味です。報恩講は、人々が寄り添い、お斎をいただくなど、共にふれ合いつつ聞法する場として、今日まで脈々と勤められています。

    報恩講ってどのような法要なの?

    京都・東本願寺では、親鸞聖人のご祥月命日である11月28日を結びに、毎年11月21日~28日までの8日間にわたり勤められています。親鸞聖人の教えを引き継ぐ真宗の各派本山でも、毎年報恩講が勤められていますが、勤める日が異なります。東本願寺では新暦の11月28日を御命日としていますが、西本願寺では旧暦の御命日の11月28日を新暦に換算した1月16日を御命日として、毎年1月9日から16日まで勤められています。

  • 初盆って何?真宗大谷派ではどんな準備をするの?

    初盆って何?真宗大谷派ではどんな準備をするの?

    大切な方がお亡くなりになり、様々な思いを抱きながら、節目の法要を勤めていきます。初七日法要、四十九日法要な重要な仏事がありますが、その中で新盆法要があります。日本特有の伝統であり、お亡くなりになってから初めてお迎えするお盆になりますが、お迎えするに際し、どのような準備をすればよいのかとお悩みになる方もいらっしゃるのではないでしょうか。ここでは、新盆とはどのようなものか、準備はどのようなことをすればよいのか、真宗大谷派にとって新盆とはどのような意味なのかをお話しします。

    初盆とは

    初盆とは、人がなくなった後、四十九日(お亡くなりになってから48日目)の忌明けが過ぎてから初めてお迎えするお盆のことを言います。お盆の期間は全国的には8月13日~16日(一部地域では7月13日~16日)とされています。もし四十九日がお盆までに明けない場合は、翌年のお盆が初盆となります。呼び方は地域によって様々で、初盆(はつぼん・ういぼん)、あるいは新盆(にいぼん・しんぼん・あらぼん)などと言われます。

    浄土真宗の初盆

    宗派によっては、初盆をお迎えするにあたって、精霊棚(盆棚)や精霊馬(キュウリやナスで作った馬と牛をかたどった人形)を設けたり、白提灯を用意して、迎え火・送り火を灯したりするなど、ご先祖様の霊が迷わず戻ってこられるようにと様々なお飾りをします。

    浄土真宗では、亡き方の霊が現世に来たり帰ったりという考え方ではなく、改めて亡き方のことを偲びながら、“いのち”の事実とその“いのち”にかけられた深い願いに耳を傾けることを大事にしてきました。そのため、亡き方を諸仏と呼び、今ここに生きている私へ大事なことを呼びかけてくださるはたらきとして捉え、お盆を勤めております。お寺やご家庭のお内仏(お仏壇)、お墓へのお参りを通して、いま生きているこの私の“いのち”や人生を振り返る時間として過ごすのが、浄土真宗のお盆の迎え方です。

    そのため浄土真宗では、初盆をお迎えするにあたっても、特別な準備は必要ありません。大切な方のはじめてのお盆をお迎えすることを通して、仏法聴聞の機縁としていきたいものです。

    初盆の御荘厳

    初盆にあたってのお内仏(お仏壇)の御荘厳は、普段のお盆の際と同様にお飾りします。
    正式な御荘厳は以下の通りです。

    ・お盆の前日までに、お内仏をお掃除し、仏具類のお磨きを行います。

    ・代々の法名軸をすべてお掛けします。

    ・お内仏の上卓や前卓に打敷(三角形の綺麗な敷物)をかけます。
     お盆にふさわしい夏用のものを選びたいものです。

    ・供筍にお華束(お餅)を一対おそなえします。

    ・花瓶にお花をおそなえします。

    ・ろうそくは朱蝋(赤色)のものを用います。

    ・仏壇前に「切籠灯籠」という盆灯籠を吊り下げます。
    ※浄土真宗では切籠灯籠を、先祖の霊を迎える意味で灯すということではありません。あくまで、お灯明は、阿弥陀仏の智慧のはたらきを表すものです。

  • 真宗大谷派の香典袋の書き方は?

    真宗大谷派の香典袋の書き方は?

    葬儀や法事の際にお包みされる香典。以前はお線香や供花を持参される方もおりましたが、現在ではお金を香典袋(金封)に包んで、お渡しすることが多くなっています。香典袋は手軽に購入することもできれば、一味違ったお洒落なものも増えております。しかし、いざ香典袋を用意しても、表書きはどのように書けばいいのか、迷われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。この記事では、真宗大谷派の香典袋の表書きについてご紹介します。

    そもそも香典ってなに?

    「香典(こうでん)」とは元来、仏前にお供えする御香のことを意味します。インドでは尊い人に会うときに、香をたき、香をささげるという習慣がありました。ですから仏教では仏に御挨拶するための作法として焼香があります。焼香してから合掌するのはそのためです。現代では、その香の代わりに金銭をお渡しするようになりましたが、これは葬家(喪家)の急な出費を互いに助け合う相互扶助の考えからもきております。

    香典の書き方は?

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    香典は不祝儀袋に包むものですが、宗派によって種類が異なり、香典袋の表書きについても、「御香典(ごこうでん)」、「御霊前(ごれいぜん)」、「御仏前(ごぶつぜん)」、キリスト教では「御花料(おはなりょう)」、神式では「玉串料(たまぐしりょう)」と、様々です。香典袋は和紙の無地のものか、のしのない白黒の水引のついたもの、あるいは黄白の水引のついたものも用いられます。参列される葬儀前に葬家の宗旨を調べてから、香典を包まれるほうが望ましいです。

    真宗大谷派では香典の表書きをどのように書くの?

    私たち真宗大谷派では、香典の表書きを「御香資(ごこうし)」、「御香儀(ごこうぎ)」、「御香典」などと書きます。あくまでも「御香料」として遺族にお渡しするためのものだからです。また、香典と一緒に菓子折りを持参する際には「御仏前」や「御供」と書いた黒白、もしくは黄白の水引をかけます。お菓子はお参りされた方々に配られる場合も多いので、個袋入りのものが好まれるようです。

  • 使わなくなったお仏壇はどうすればいいの? 法要はどうするの?

    使わなくなったお仏壇はどうすればいいの? 法要はどうするの?

    亡き方やご先祖様を祀り、大切にお参りされてきたお仏壇ですが、様々な事情により、お仏壇を処分する場合や、買い替えを希望される方もいらっしゃいます。浄土真宗では「お仏壇」を「お内仏」と呼び、多くの先達が教えを聞く場所として大切にされてきました。そのような大切な場所であるからこそ、伝統に則り丁寧なかたちで勤めることも大事にしてきました。ここでは、使わなくなったお仏壇はどのようにすればいいのかや、お仏壇を処分するときに勤める法要について触れていきます。

    使わなくなったお仏壇はどうすればいいの?

    ライフスタイルや家族構成の変化に伴い、継承されることが多かったお仏壇が、買い替えや処分をされるケースが多くなってきています。例えば、ご両親がお亡くなりになった際に、ご実家に安置していたお仏壇を処分して、小さなものに買い換える場合や、お仏壇自体を亡くし、お位牌やお写真とのみを安置するなど、手を合わせる場所としても多様化しております。そのよう中、寺院には様々なケースでお仏壇の処分についてご相談があります。
    どのような場合でも、まずはお話しを丁寧にお伺いし、どのような方法があるかをご説明しております。
    一般的には、処分するお仏壇の前で法要をし、ご本尊や法名軸等は寺院でお預かりしお焚き上げをすること、お仏壇などの大きなものは仏具店等にて引き取ることが可能であることをご説明することが多いと思われます。お仏壇もお焚き上げしてくださる寺院もあり、全てを寺院にお願いできる場合もあります。

    お仏壇を処分する際は、どのような法要をするの?

    お仏壇を処分する際、浄土真宗では「御移徙(おわたまし)法要」か「奉告法要」のいずれかを勤めます。「御移徙(おわたまし)法要」は「移り動く」という意味であり、新調したお仏壇等へご本尊(阿弥陀如来)を移し、ご安置する法要です。「奉告法要」は授与をされたご本尊をお返しする法要であり、ご本尊を授与されたご寺院に勤めていただくことが多いです。どちらの法要も、ご本尊にまつわる法要であり、「お仏壇」を「お内仏」と呼び、ご本尊を大切にしてきた、浄土真宗において大切な法要です。

    近年では、ご本尊がどちらのご寺院から授与されたのかわからない場合や、寺院から授与をされるのではなく、仏具店やネットショップで購入されるケースもあります。また、お仏壇を普通ゴミや粗大ゴミとして処分されるケースもあります。

    様々なご事情がある中で、ゴミとして処分した後に「これでよかったのだろうか」と相談にいらっしゃる方も少なくありません。ご本尊を中心とした、大切な場所として受け継がれてきた「お内仏」ですから、例え処分する際にも、丁寧に勤めることが望まれます。

    真宗大谷派にとって、お仏壇を処分する場合、どのようなことを考えお参りするのでしょうか。それは、「大切に手を合わせてきたもの、仏様に関係のあるもので粗末に出来ないもの」を御縁とし、手を合わせてきたものや仏様からの願いを聞いていく機縁になることを念じて、お仏壇を処分いたします。ご依頼される方には、大事な人を亡くされた方もいらっしゃると思いますし、思いを受け継いできた方もいらっしゃると思います。そのような中で、「もの」の奥から願われているあなたへの願いを聞いてほしい、そのような言葉を聞く御縁として捉えております。

  • 無宗教なのですが、葬儀は真宗大谷派にお願いしても構わない?

    無宗教なのですが、葬儀は真宗大谷派にお願いしても構わない?

    厚生労働省によると、2020年にお亡くなりになった方は、約137万人とされ、2040年までお亡くなりになる方が増え続けるという統計もあります。多くの場所で葬儀が営まれる昨今、特定の宗教に縁がなく、ご自身は「無宗教」と思われている方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。また、普段は無宗教と思われている場合でも、葬儀の際には、寺院や僧侶にお願いする場合もあるのではないでしょうか。この記事では、無宗教であったとしても、葬儀を真宗大谷派の寺院や僧侶にお願いしてもよいのか、解説をしてまいります。

    無宗教でも葬儀を真宗大谷派にお願いしても構わない?

    結論から申しますと、全く問題がありません。様々なご縁の中で、真宗大谷派の寺院や僧侶を知り、お願いすることがあると思います。真宗大谷派は、お亡くなりになった方を通して、私たちのいのちの本当の姿を知り、お念仏の教えを聞く機縁になることを願って、葬儀をお勤めしております。どのような状況であったとしても、その場所に伺った僧侶は丁寧に勤め、お念仏の教えと阿弥陀如来と亡き方からの願いをご一緒に聞かせていただきます。

    真宗大谷派に葬儀をお願いするためには、どうすればいいの?

    ご縁のある方は、直接寺院や僧侶にお願いすることが望ましいですが、昨今は様々な事情により、お付き合いが少ない方も多くいらっしゃいます。真宗大谷派の各地域では、葬儀にお伺いします寺院や僧侶を責任もってご紹介し、大切な葬儀をご一緒にお勤めさせていただいております。お伺いするのは、真宗大谷派の僧籍を持った僧侶であり、各地域に近い方をご紹介することも可能でございます。真宗会館にて、葬儀のご相談や寺院紹介を承っておりますので、ご遠慮なくお申し付けください。

    ※寺院検索は東京教区(1都8県)の真宗大谷派の寺院を調べることが出来ます。

    葬儀をお願いした寺院や僧侶に、その後の年忌法要もお願いしても構わない?

    大切な場所をご一緒した寺院や僧侶とともに、四十九日、新盆や年忌法要を勤めても、もちろん構いません。候補日程や場所をある程度決めた段階で、僧侶や寺院にご相談され、日程や当日の流れを決定することが望ましいです。ご不明な点はお気軽にお問い合わせくださればと存じます。また、葬儀は済ませたけれども、別の真宗大谷派の寺院や僧侶にお願いしたい、葬儀は別の宗教であったけれども、年忌法要は真宗大谷派で勤めたい、実は真宗大谷派の家系であるとわかり、法要は真宗大谷派にお願いしたい、など様々な理由によって、寺院や僧侶をお探しの方もいらっしゃいます。真宗大谷派では、葬儀のみならず、年忌法要や節目の法要などをご一緒にお勤めいたします寺院をご紹介しております。もちろん、真宗大谷派の僧籍を持った、経験豊富なものがお伺いいたします。

  • 法事の「お斎」ってなに? 「お斎」をするときの作法はあるの?

    法事の「お斎」ってなに? 「お斎」をするときの作法はあるの?

    葬儀や年忌法要などの仏事のときにいただく食事を「お斎(おとき)」といいます。お亡くなりになった方を偲びながら、僧侶や久しぶりに会う方とお話しし、列席された方への感謝を表す場でもあります。そのようなお斎ですが、本来の意味や宗派によっては作法があるということをご存知でしょうか。食事をすることや準備をすることに気を取られやすい「お斎」ですが、本来の意味や作法を知ることで、その時間を一層豊かに過ごすことができるのではないでしょうか。ここでは、様々な「お斎」の疑問について応えてまいります。

    そもそも「お斎」ってなに?

    「お斎」という言葉は仏教教団の生活の決まりからきた言葉です。

    「お」は丁寧語で、「とき」というのは「時」のことで「決まった時」にとる食事のことを指します。具体的にはお昼の食事のことで、朝食と「時」以外の食事は「非時」と言います。そういった決まりのことを「斎」(さい)といいました。そこから斎=ときとなったと考えられています。現代では、仏事の際に取る食事のことを言います。

    真宗大谷派では、報恩講(親鸞聖人のご命日に勤める法要)などの仏事の際に、お参りされる方、お一人おひとりが、米や野菜などを持ち寄り、調理していただいた食事のことを「お斎」と呼んできました。そして、食事をいただきながら、お念仏に出遇った慶びを、その場に集まった方々と語りあいました。そのため、亡き人を偲びながら、飲んだり食べたりすることを「お斎」というわけではなく、「お斎」も仏事のひとつととらえ、亡き人をご縁にして、阿弥陀如来の教えに出遇う場として大切にしております。

    料理は「精進料理」じゃないといけないの?

     インドのお釈迦様の教団では、自分のために殺されたものでなければ肉も魚も食べていました。仏教が中国に伝わって不殺生戒などの解釈から僧侶は肉食をしないこととなりました。日本でもその影響を受けています。ですから、お斎は精進料理が伝統ですが、昨今は肉や魚を含んだ料理が多くなっています。

    精進料理とは、「殺生(生き物を殺すこと)」を避け、「煩悩(人を苦しめ、煩わせる心)」を刺激しないために生まれた料理です。「精進」とは仏教用語で、「ひたすら仏道に励む」という意味です。そこから「美食や肉食を避け」また、「粗食や菜食によって精神修養をする」ということが食事におけるに「精進」になります。

    真宗大谷派では、亡き人をご縁に、「お斎」という「精進」の料理を通して、日ごろ忘れかけている、他のいのちを殺しいただかなければ生きてはいけない身である事実を問いかけていると考えます。これは、普段の食事でも同じことですが、仏事といわれる法要が勤まった後であるからこそ、改めてこの事実を確認し、いのちに支えられていることに思いを馳せる大切な場所にしております。

    「献杯」をすることがあるけど、どうしたらいいの?

    そもそも「献杯」とは、「(敬意を表して)さかずきを人にさすこと」とをさします。「お斎」をいただく前に、喪主、友人や親族など、亡くなった方にご縁のある方が、列席者へ挨拶とともに、お亡くなりになった方へさかずきを傾けることを献杯といいます。
    真宗大谷派では、「お斎」を食べ物や飲み物を通していのちをいただき、そのいのちによって生かされていることを確認する大切な場所と考えております。そのため、献杯ではなく、「食前のことば」「食後のことば」を皆様で唱和しております(下記参照)。

    〈食前のことば〉

    (ひかり)のもと

    われ(いま)さいわいに

    この(きよ)(しょく)をうく

    いただきます

    〈食後のことば〉

    われ(いま)

    この(きよ)(しょく)(おわ)りて

    (こころ)ゆたかに(ちから)()にみつ

    ごちそうさま

  • 清め塩って何? 真宗大谷派は使わないって本当?

    清め塩って何? 真宗大谷派は使わないって本当?

    通夜や葬儀に会葬された際に、清め塩(きよめじお)をご覧になったことはあるでしょうか。会場に置かれてある場合や、会葬者に渡される会葬御礼の中に入っている場合もある、小さな袋に入っている塩のことを「清め塩」といいます。浄土真宗の葬儀の場合は、「浄土真宗のため、清め塩はありません」というような看板が掲げられている場合もあります。「清め塩」をもらっても、どのように使うのか、浄土真宗で用いないのはなぜか、そもそも清め塩はどのような意味があるのかなど、様々な疑問が浮かぶと思います。この記事では、清め塩に関する様々な疑問に応えてまいります。

    清め塩とは、そもそも何?

    「清め塩(お清めの塩)」は、通夜や葬儀に会葬した際、香典返しや会葬御礼に同封されている、または会場に用意されている塩の事です。清め塩には「身を清める」「邪気を払う」といった意味合いがあります。これは神道の考え方に由来しています。神道では、古くから死をけがれたものとして捉えて、葬儀に参列した方は、このけがれを受けているとされてきました。これを取り払うのが清め塩の役割です。古くは身を清めないままでは日常生活を送れない、とされていました。ここでいうけがれとは、お亡くなりになった方ではなく、お亡くなりになった方がまとっている邪気を指しているそうです。

    浄土真宗で清め塩を使わない理由は何?

    「清め塩」は、「死=けがれ」と見なし、死を忌み嫌う習慣から生まれたものです。真宗大谷派では死をけがれと見るようなことはしておらず、清め塩をする必要がないと考えています。人として生まれた限り、必ず私たちも死んでいきます。亡くなった方をけがれとして見ることは、同時に私もいつかはけがれになるということです。 生きていると悲しいことに大切な方が亡くなることは必ずあります。真宗大谷派では、亡くなられた方を仏様(諸仏)であるといただいております。仏様とは、いま生きている私たちに、本当に大切なことを教えてくれる働きの事です。通夜や葬儀の際、死に出遇うということは、私も必ず死んでいく身であることを故人から教えられ自覚する場でもあります。ですから真宗大谷派において故人とは、これまで同様、またはそれ以上に親しむべき存在なのです。

  • 法事はいつ勤めるの? 亡き人の命日当日よりも前倒ししてもよい?

    法事はいつ勤めるの? 亡き人の命日当日よりも前倒ししてもよい?

    法事は亡き人の生涯に思いをはせ、亡き人をご縁に仏さまの教えにふれる大切な場です。初七日法要から始まり、四十九日法要や新盆法要、一周忌や三回忌など、節目の際に勤められる法事ですが、どのようなタイミングで勤めることがいいのか、悩む方もいらっしゃいます。ここでは、法事をいつ勤めればいいのか、亡き人のご命日よりも前に勤めてもいいのかなど、法事を勤めるタイミングについてお話しします。

    法事はいつ勤めるの?

    一口に法事といっても、四十九日法要、新盆法要や一周忌法要など、様々なものがあります。一般的に法事とは、亡き方の祥月命日(お亡くなりになった日)の近くに勤めます。四十九日法要はお亡くなりになった日から49日目に、新盆法要はお亡くなりになってから初めてのお盆期間(東京近辺は7月13日~16日・その他は8月13日~16日が多い)に勤めます。しかし、ご自身やご家族の事情や、参列される方のご体調など、祥月命日やお盆期間などに法事を勤めることができない場合があります。その際は、祥月命日や期間の前後の、ご都合が宜しいい日程で勤めることがよいでしょう。法事を勤めることは、亡き人の生涯に思いをはせ、亡き人をご縁に仏さまの教えにふれる大切な場でありますので、皆様でお勤めされることが望ましいです。

    亡き人の命日当日よりも前倒ししてもよい?

    祥月命日(お亡くなりになった日)よりも前倒ししてお勤めされても結構です。祥月命日よりも後に勤めることは宜しくないといわれることもありますが、問題はありません。後回しにすると、いつまでも先延ばしてしまうこともありますので、お早めに日程を決めることがよいでしょう。

    日程を決めたらどうする?

    ある程度の日程を決めましたら、お寺やお付き合いのある僧侶に連絡し、時間や場所を決定し、準備するものを確認します。場所はお寺や墓前、ご自宅など、ご本尊を中心としてどちらでもお勤めすることができます。昨今は普段からお付き合いのあるお寺がないかたもいらっしゃいます。真宗大谷派ではどのような方であっても、大切な法事をご一緒させていただきます。お近くのお寺や、真宗大谷派の僧籍を持った、経験が多くある僧侶のご紹介も承っておりますので、お気軽にご相談ください。

    ※寺院検索は東京教区(1都8県)の真宗大谷派の寺院を調べることが出来ます。

  • 水子供養ってなんですか?真宗大谷派ではどのように勤めている?

    水子供養ってなんですか?真宗大谷派ではどのように勤めている?

    お腹の中に子供を授かったとわかった瞬間の想いは、境遇により様々であると思います。多くの方はその状況に喜びの感情を持たれるのではないでしょうか。しかし、その授かった命が母親から産まれ出てくるということは一大事です。無事に生まれてきてくれることを願いながらも、そうならないという現実もあります。この記事では、「水子供養」とは何なのか、また、そのことを真宗大谷派ではどのように受け止めるのかを見ていきたいと思います。

    水子供養とは?

    まず、この「水子」という言葉にはどのような由来があるのでしょうか。一説としては、堕胎することや、流産になることを「水になる」という言い方をしたことからとか、幼い子を「みずみずしい子」といった、というようなことからきているようです。幼くして亡くなった子の特別な供養は、古くからあったといわれていますが、この時には亡くなった幼子が仏様になるとは考えずに、再生を願う儀式として行われていたということです。現在行われているような水子供養の形というのは、1970年代に全国的に広がっていったといわれます。その理由としては、幼くして亡くなった子を、宗教的な儀式を介さなければ、祟りが起きるという考え方が出てきたことによるといわれています。

    真宗大谷派としての受け止め

    供養ということは二つに分けて考えられます。一つは追善供養、もう一つは讃嘆供養と言います。追善供養とは、亡き人の冥途の幸福のために種々の善い行いをすることです。讃嘆供養が、浄土真宗の考える供養です。阿弥陀と呼ばれる仏様が、「本当に大事な世界に立ち帰ってほしい」という願いをもって呼びかけてくる、その声に触れ、感動し、「私自身、有り難いことでした」と頭が下がることを言います。浄土真宗では水子供養という形は取りません。どんな命も一つの尊重されるべきものとして法要が行われなければなりません。目の前に起きた死という事実を通して、この私の生を問うてくる阿弥陀仏との出遇いの場として、また、讃嘆供養の場としてお勤めをいたします。