カテゴリー: 如是我聞

  • 「庭掃除に問われる」

    「庭掃除に問われる」

     私のお預かりしているお寺の境内には白木蓮の木がある。毎年、お彼岸の頃には満開になり、参詣の方々は楽しみにしてくれている。

     今年は例年より早い開花になってしまい、お中日には散り始めて少し寂しい姿になっていた。「今年は満開の白木蓮が見れなくて残念です」と口々におっしゃる姿に、「また来年を楽しみにしていてくださいね」と私自身は複雑な心境でお答えをする。

     というのは、綺麗に咲き終わった花びらたちは、美しさの反面で掃除が非常に大変だからである。掃いても掃いても絶え間なく落ちてくる。朝一番に残らず掃いてもお朝事が終わる頃の地面は花びらでいっぱいである。風が吹こうものなら掃いた傍からどんどん落ちてくる。樹木の多いお寺であるため、木蓮の次は別の花と春先まで延々と続く。

     しかし楽しみにしてくれているご門徒さんと同様に、私もまた春の花々を楽しみにしているのである。花は見たいが掃除はしたくないという、なんとも自分勝手な思いに気が付かされる。

     思い返してみれば日々この調子だ。自分の都合ばかりで、口には出さないが小さな愚痴ばかりの生活である。先日も地元の花まつり(お釈迦さまの誕生祭)の稚児行列に雨が降らないか心配ばかりしていた。その日は幸いに晴れで子どもたちの溢れんばかりの笑顔が見ることができたが、次の日は雨模様だった。「雨が降ったのが昨日でなくてよかった」と、自分の用事が済んでしまえば、あとは気にも留めないという私の根っこが顔を出す。雨が降らなければ農作物にも影響が出る。しかし農作物の心配すらも私たち人間の都合の話でもある。自分の口にする食料が収穫されないと困るからだ。

     秋は落ち葉の季節である。今から紅葉を楽しみにするとともに、どこまでも自分勝手な思いと共に掃除をしようと思う。

    『Network9(2024年5月号)より引用』佐々木 誠信(東京4組 正應寺)

  • 「ひとつの不完全な点でありながら内包された世界」

    「ひとつの不完全な点でありながら内包された世界」

     楽しいことをやっていこうで始まった会が、大きくなるにつれ執行部が生まれ、組織化され、責任の主体は、旗印を掲げよう等々と、何か自分とかけ離れたものになっていく経験をしたことはないだろうか。私自身そもそも、何のためにするのかといった情熱や、主体性に乏しいこともあるのだと思うが、その場を取り繕うだけの大義名分は言えても、本当の願いとは何かと問われても、人のためにそこまでできる人ではないので、できる範囲でという分相応の簡素なものになる。

     お寺でできることは何かを考えて10数年、結局やったことといえば、お寺の場作りと、地域との繋がり強化、真宗の学びは言わずもがな…やっているとは言い難い。世界人口は80億人を突破したのに、日々の付き合いは数十人に満たない矮小な世界である。世界は繋がっているとわかってはいるが、身近な繋がりをもって私の全てともいえる。

     あなたの隣人を愛しなさいという戒めがある国でも、戦争の種はあふれている。そこには隣人すら愛せないことがあるという事実、人の悩ましい種が備わっているからである。競争、比較、敬遠、排除、争い。それならば初めから自分の色を出さない方が、フラットに(行き過ぎると無関心ともなり得るが)相手を感じられる気もするが、何も答えないとそれはそれで、意見がない人と見なされることにもなる。何とも面倒で、一見くだらないともいえる評価のある生き方を、命終えるまで続けていくのだ。当然、私もそう誰かを評価しているのである。

     そんな全ての言動は、阿弥陀如来からすれば、はなからお見通しなのである。後出しみたいな登場に、時にずるくも感じられるが、間違い、問われ、戻され、歩みを続ける、この不完全な状態を見つめる感覚が、私はたまらなく性に合っているのである。

    『Network9(2023年12月号)より引用』渡邉 尚康(東京3組 忠綱寺)

  • 「真宗との出会いと今」

    「真宗との出会いと今」

     私は両親がともに公務員の在家に産まれた。実家は真言宗の檀家だったが年1、2回家にお坊さんが来てお経をあげてもらうだけで、結婚前に実家の宗派を確認するまで全く知らなかったくらいに仏教とは縁が無かった。進学した高校と大学は工業系で、両親の職業のこともあり当時から将来は公務員系の仕事に就くのかなと思っており、実際に公務員系の技術職に就くことが出来た。

     仕事を始めてからは会社の仕事の進め方と自分が思う正しさに差があることがわかった。会社というより今の社会の仕事の進め方なのかも知れない。仕事を続けるためにはそのやり方に従った方が楽になるとは思いつつも、自分の思う正しさと違う事をするのは非常に苦痛だった。

     そう感じているところに配偶者と出会いチャンスだと思った。お寺に入れば正しいものの見方という、漠然としたなにかすごい智恵が身につき、私の抱えていた悩みをさっと解決して、心を楽にしてくれると。しかし、私の中にステレオタイプなお坊さんのイメージがあり、私のような人間が肉やお酒を食べたり飲んだりせず、厳しい修行に耐えられるか非常に心配だった。それらが禁止されていないと聞き、浅はかにもこの宗派の僧侶が自分にも出来るかもと思えるようになった。

     真宗に触れてからもう4年になるが、社会人時代に抱えていた問題は解決出来きていない。しかし、自分の思っていた正しさが本当に正しかったのかという疑問が生じたり、問題も解決出来ない、またはしなくてもいい、抱え続けていいのだと思えるようになり、心が少し楽になった。

     ただし、真宗の僧侶が自分に出来ているかは甚だ疑問で、そもそもどうやったら僧侶として胸を張って言えるかもわかっていない。答えが無いのかも知れないが、今後の大きな課題として日々を過ごしていきたいと思う。

    『Network9(2024年2月号)より引用』須賀 優(東京5組 道教寺)

  • 「私の闇を照らす言葉」

    「私の闇を照らす言葉」

     真宗にとって、信心ということは大切な要だと思いますが、私自身、「信心というものはこれだ」と、はっきり言うことができないでいます。

     一方で、『歎異抄』の中でも「如来よりたまわりたる信心」とおっしゃっているので、聞法していれば、いつかその時がやって
    来るのかもしれないと、心のどこかで願いながら待っている自分もいました。

     しかし、「本気で教えを聞きたいですか」という問いを投げられた時に、ハッとさせられました。。それは、以前違う場でしたが「これからも教えを聞いていこうと思いますか?」という問いを投げられた時に、私は「教えを聞いていかないと、自分が何者だか分らなくなるから、聞き続けていきたい」と答えたことを思い出したからです。

     今思うと、その言葉は本気ではなく、「仕方なく聞き続けなければならない」という心が隠れていたことに気づかされました。先輩僧侶がおっしゃった「真面目だけでは、救われない」という言葉も、私の教えに対する向き合い方を問うてくれたのかもしれません。『御文』の「後生の一大事」という言葉の深さをもう一度噛みしめて歩んでいきたいと思ったことです。

    『Network9(2022年12月号)より引用』小林 彩(茨城1組 雲國寺)

  • 「思いの丈を叫ぶ」

    「思いの丈を叫ぶ」

     獄中で死亡したロシアの反体制派指導者ナワリヌイ氏の妻、ユリヤさんが声明を発表する様子を、先日テレビで見た。その声明の中でユリヤさんは言う。夫が殺されたことで、自分は心身の半分を喪ったが、しかし、もう半分はまだ残っている。その残された半分が、決して諦めてはならないことを教えてくれる。自分は夫の活動を続ける、と。

     この言葉を聞いた時〝この思いなのかもしれない〟と感じた。宗祖親鸞が、師・法然を喪った際の思いに通ずるものがあるのではないか、と。

     私たちの認識としては、「真宗の宗祖は親鸞」である。しかし親鸞自身は、『顕浄土真実教行証文類(以下、教行信証)』に、「真宗興隆の大祖源空法師」(※源空=法然)と記している。「真宗の祖は法然だ」という。「正信偈」にも、「本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 真宗教証興片州」(本師・源空は、仏教に明らかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興す。)と述べられている。

     しかし史実が示す通り、1207年、吉水教団は弾圧を受け、法然・親鸞をはじめ、何人もの念仏者が流罪あるいは死罪となる。親鸞の悲しさ悔しさは如何ほどのものであったことか。師弟共に罪に処せられ、僧籍も剥奪された。師とは、再び生きて会うことは叶わなかった。もはや帰るべき吉水教団もない。しかし。しかしまだ、この身は残っている。師・法然を縁として仏の教えを受けたこの身が、まだ残っている。

     親鸞が晩年まで手を加え続けた『教行信証』執筆の動機が、「法然の教えが真実の仏法であることの証明」であることは、現在多くの研究によって明らかにされている通りである。

     その『教行信証』執筆より800年。弾圧に屈しない思いの丈を、今も、昔も、叫び続ける人たちが、ここにいる。

    『Network9(2024年4月号)より引用』田上 翼(茨城1組  一乘寺)

  • 「壁を作るのは私」

    「壁を作るのは私」

     今年の1月末に前住職が亡くなり、人との関わり方について考えることがある。私は人との関わりができているのだろうかという自問でもある。

     前住職は私の義祖父だ。30歳を過ぎて入寺し、それまでの親戚付き合いとは違い、深く前住職と関わるようになった。思春期の頃の出来事などを思い出すと、「とんでもない人間だ」という思いから否定的な態度が先に出てしまっていた。例えば前住職に何か聞きたいことができてしまった場合、勇気を出して声を掛けないといけない。身内間で神経を使うというのはなかなかしんどい話だ。本題に入りたいのに脱線が続き、こちらの聞きたいことがうやむやのまま解散したこともあった。そんなこともあり、あまりお近づきにならないようにしようと生活してきたのを考えると前住職との関係性は決して良好とはいえなかった。

     では問題は前住職にあるのだろうか。壁を作っているこちらが問題ではないか。相手を拒否することが悲しいことだと思いつつも、それでも否定せずにはいられない。なぜか。自分の価値観で量れないから。ではその価値観は間違いないのか。そんな私が相手をきちんと見えているのか。そうした自問だ。

     今号の特集取材で、「壁は外にはなかった、自分の中にあった」という言葉があった。編集作業中にハッとした言葉だ。私の自問に今回の特集から着眼点をいただいたように思う。前住職を通して私が問われているのだろう。亡くなってからしか気づけなかった。前住職には感謝とともに色々と複雑な思いは残るのだが。

     仏教に出遇って10年になるが、それまでの私では考えもしなかったことである。仏教に出遇ったら腹が立つと専修学院で言われたことを思い出した。わが身の事実を受けて素直に頷けない。それでも離れられない。

    『Network9(2023年7月号)より引用』小田 俊彦(茨城1組  等覺寺)

  • 「虫にもいのちがあるんだよ」

    「虫にもいのちがあるんだよ」

     どの園にも必ずいるであろう「虫大好きっ子」。年長児のAくんもそのひとりです。珍しい虫はもちろん、どこにでもいるようなものや、大人なら嫌がりそうなものでも「先生、あそこに〇〇がいた!」とうれしそうに報告してくれます。他の子どもたちもみんなわかっていて、虫を見つけるとまずは「Aくん、○○がいたよ!」と教えてくれます。

     大好きな虫を見ているだけでは物足りないAくんは、手で持ってみたり、虫かご代わりにおもちゃの小さな鍋に入れたりします。そんなとき、周りで見ている子に「かわいそうだから逃がしてあげよう。虫にもいのちがあるんだよ!」と言われることがあります。最初は「ぼくが見つけたんだよ」と言い返しますが、そのうち渋々と逃がしてあげることが多いです。Aくんにとって「虫にもいのちがあるんだよ」とは魔法のことばのようです。

     そんなやりとりを見ていてふと思いました。自分だったらどうだろうか。「虫にもいのちがあるんだよ」と言われて、腕にとまっている蚊を叩こうとしている手をおろすだろうか。キッチンで見つけたゴキブリに向けている殺虫剤をしまうだろうか。「刺されるとかゆくなるから」「気持ち悪いから」と自分の都合を優先してしまう私には、魔法のことばの効き目はなさそうです。

     「虫にもいのちがあるんだよ」と同じ理屈で「私にもいのちがあるんだよ」と言ってしまうと、このいのちは私の所有物のように思えてきます。そうすると「わたしがいのちを生きている」として、それを生かすも殺すも自分次第になってしまうでしょう。まず初めにいのちが存在して、いろいろなご縁で私がいるということ、そして、どんないのちであっても「生きよう生きよう」としている姿に目を向ける。そこから、いのちを奪いながら生きていくことの悲しみやいのちの尊さに気づくのではないでしょうか。
             『Network9(2024年2月号)より引用』雲乗 真樹(茂木保育園 園長)

  • 「あげはちょう」

    「あげはちょう」

     アソカ幼稚園はバス通りに面し、住宅に囲まれた所にあります。狭い園庭の中で、少しでも「自然」を感じられる場を作りたいと思うのですが、そんな私の思いとは裏腹に、子ども達はアリの動きを観察したり、だんご虫をケースに入れてみたり、きれいな石ころを発見したり。子どもにとっては「その環境」が「自然そのものなんだ」と思うと同時に、私が提供したいと思う「自然」とは、多くの木々や草花があり、それらが生きる川、海、山をイメージしてしまっている自分の思い込みの様でした。そんな事を思いながらも、私の頭は面白い事捜しに、目をキョロキョロさせていました。

     ある時、園から2軒先のお店と隣接地との10センチ程の間にイヌザンショウを発見しました。葉の裏にはキアゲハの黒い幼虫が8匹もついていました。早速、子ども達とお店に行き、お店の方に了解を得て、幹ごともらって来ました。小さな黒い幼虫は脱皮して、所謂、青虫(緑色の幼虫)になります。青虫になると食欲旺盛。葉を食べている間は、葉の所に居ますが、次のさなぎになる時には、都合の良い場所を捜しながら、あちこちと歩きまわります(5ミリ位のすき間でも出てしまいます)。各々がケースの好きな所でさなぎになり、その後、2週間程で羽化します。

     その日は年中組が外遊びをしていました。ケースを園庭に出すと、みんな集まって来ました。さなぎからちょうが生まれた事を話すと、誰からともなく ♬生まれたよー生まれたよーちょうちょの赤ちゃん生まれたよー♬ と、盆踊りで使っている「いのちのおともだち」の歌を歌い出しました。ケースのファスナーを開け、飛び立つ準備ができると「おめでとう!」と拍手。「元気でねー」「大きくなってねー」と、口々にその思いを声に出していました。子どもがちょうに願いをかけている姿に、私も願いをかけられている存在だと、改めて思い起こされたひとときでした。
               『Network9(2023年2月号)より引用』靍見 美智子(アソカ幼稚園)

  • 「慈しみの光の中で」

    「慈しみの光の中で」

     0歳児から就学前までの大勢のこどもたちと生活する中で、日々様々な出来事に出遇います。

     ある日、3人の年長児が、砂場の近くでカップを見つけました。カップには、砂が平らに詰め込まれていて表面はよく磨き上げられたようでツルツルしています。それを見た1人が、「カップ使いたいからこわしちゃおうか」と言いました。でも、それを聞いたもう1人が「つくった人が悲しむから、壊さずに置いておこう」と伝えました。3人はそのまま壊さず別のものを使って遊び始めました。

     私はその様子を見て、その場にいない、誰だか分からない、顔も見えない相手に思いを馳せることのできる素晴らしさに、心を揺さぶられました。

     園で生活する大人とこども。どうしても大人が主となって行動する構図をつくってしまう私です。でもこどもたちは、小さいながらも大人と同じようにいろいろな事象に出遇って、様々なことを感じ、思考を巡らせて生活をしています。「だめな人などひとりもいない」は、今は亡き前理事長の法話での口癖でした。

     一人一人が尊いひとであることを忘れず、心の内を覗きながら、遊びの中で、園生活の中で”その子らしく輝ける”ように心を働かせることが、私たち保育者の大切な仕事なのだと思います。

     創立から110年を過ぎた現在もお寺の境内に園舎を構えさせていただいています。大人もこどもも「ののさまの暖かな眼差し」を感じつつ、目には見えない大勢の方々に感謝しながら、ともに遊び、ともに育ちあっていける学び舎でありつづけたいと思います。
              『Network9(2022年12月号)より引用』髙松 里子(慈光幼稚園 園長)

  • 「建学の精神「和」の実践」

    「建学の精神「和」の実践」

     聖徳学園の建学の精神は聖徳太子の17条憲法第一条に由来する「和」をかかげています。本園は創立90年の幼稚園で、昨年園舎が新築され、新たな一歩を歩み出しました。

     300名近くの園児が高層ビルに元気な声を響かせていますが、子どもたちにとっての「和」とは、どのようなことかについて考えてみたいと思います。

     私達は子ども達に「友達と仲良く」「誰とでも仲良く」と求めてしまいますが、子どもたちが友達と仲良しになることはそんなに簡単なことではありません。

     3歳児のクラスの入園当初は一人一人が不安でいっぱいで、母親と離れること自体に危機感を感じています。友達の存在は自分には関わりのない状態です。しかし、何日か経つと少し落ち着いて先生のそばにいたり、自分の好きな遊具で遊び始めたりします。この時もまだ自分中心ですが、ふと泣いている子に目が向いて「お母さんに会いたいの」と問いかけたり、自分のハンカチで友達の涙を拭いたりして、関わりのきっかけが生まれ、友達との心の交流が生まれます。物の取り合いなどの喧嘩が4,5歳になると自分の考えを主張することによる喧嘩に変化していきます。

     それぞれの子どもが自分の感じ方、考え方を相手に伝え、お互いに受け止めることにより、自分とは違う感じ方や新たなものの見方を学び、自分の世界を広げていきます。そして、相手の良さや自分の良さに気付き、課題や問題に直面したときに協力したり、相手を思いやったりできるようになっていきます。

     「和」とは表面的な「なかよし」ではなく、深く相手を理解することではないでしょうか。幼稚園での生活が友達との関わりが深められるよう、子どもたちの主体的な遊びを大切にしていき、教師自身も幼児理解を深めていきたいと思います。
              『Network9(2024年4月号)より引用』塩 美佐枝(三田幼稚園 園長)