カテゴリー: 特集シリーズ

  • 「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(4)小川一乘 氏 

    「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(4)小川一乘 氏 

    パート3に引き続きパート4(最終)です。

    去る2024年1月26~28日、真宗会館にて東京教区報恩講が勤修されました。
    逮夜法要(27日)および日中法要(28日)でお話しいただいた法話のダイジェストを掲載いたします。
    法話は、大谷大学名誉教授・小川一乘氏を御講師として、「『いのちの事実に目覚めよ』―親鸞聖人にとっての死―」をテーマに、お話しいただきました。  『Network9』2024年4月号より引用

    親鸞聖人にとっての死

     仏教では、死ぬことを「入滅」と、滅に入ると言います。では、仏教における死である「入滅」について、親鸞聖人のいただきは、どう関わっていくのでしょうか。釈尊が入滅をされた時に、帝釈天が「無常偈」(『涅槃経』)という偈文を詠ったと伝えられています。それは次のようです。

    (しょ)(ぎょう)()(じょう) ()(しょう)(めっ)(ぽう)

    (しょう)(めつ)(めっ)()  (じゃく)(めつ)()(らく)

    諸行は無常である。それは生じたり滅したりする存在です。生じたり滅したりすることがなくなり、すべてが滅し尽きた「寂滅」を楽と為すのです。寂滅というのは、釈尊にとっての入滅です。「楽と為す」というのは、大乗仏教になってくると、「極楽」や「安楽国」の「楽」に通じていきます。
     親鸞聖人は、この「入滅」とはどういうことかを、「正信偈」で法然上人を讃える中で、はっきりと受け継いでおられます。

    速やかに(じゃく)(じょう)(む)(い)(みやこ)(い)ることは、必ず(しん)(じん)をもって能入とす、といえり。

    (『真宗聖典』第1版 207頁)

    と法然上人のお言葉を引用しております。「寂静」は「寂滅」と一緒です。そして「無為」ということは「生滅滅已」です。生じたり滅したりすることが滅して、為すべきことがなくなるというのが「無為」ということです。釈尊の入滅のときの詩が、法然上人によって、このように表現されています。ところで、この文は実は法然上人の文そのものではないのです。『(せん)(じゃく)(ほん)(がん)(ねん)(ぶつ)(しゅう)』を見てみますと、法然上人ご自身は「涅槃の城には信を以って能入とす」と言っておられます。親鸞聖人はこのお言葉を、次のように説明しておられます。

    (ね)(はん)(し)(じょう)」ともうすは、(あん)(にょう)(じょう)(せつ)をいうなり。これを(ね)(はん)のみやことはもうすなり。「(い)(しん)(い)(のう)(にゅう)」というは、真実信心をえたる人の如来の本願の実報土によくいるとしるべしとのたまえるみことなり。

    (『真宗聖典』第1版 528頁)

    ですから、「(そく)(にゅう)(じゃく)(じょう)(む)(い)(らく) (ひっ)(ち)(しん)(じん)(い)(のう)(にゅう)」と、法然上人は仰っていると言いながら、そこに善導大師のお言葉を入れて、「涅槃の城」を「寂静無為の楽」と言葉を置き換えているのです。これを見たらどうでしょう。「寂滅を楽と為す」という、釈尊の入滅のことと中身は全く同じなのです。しかも親鸞聖人は「涅槃のみやこ」と言うのです。これは親鸞聖人の独特な表現だと思います。涅槃というのは阿弥陀如来によって明らかになった世界です。それを親鸞聖人は「みやこ」と表現したのです。言葉を換えれば、阿弥陀如来のいる世界に帰っていく、ということになります。それを「楽と為す」と仰っているのです。
     法然上人は、人々が阿弥陀如来の国に生まれたいと願ったその瞬間、覚りを開く世界に身を置くのであると仰られました。死んでから覚りを開くのではないのです。今「いのち」の事実に目覚めたその瞬間に、私たちは覚りの世界へと、往生していく往相回向が定まるのです。ただ今この身が、寂滅為楽、寂静無為の楽に入る身として定まる。そのことを往生と、親鸞聖人はいただいているのです。
     親鸞聖人がいただいている往生というのは、「大経往生」です。『大無量寿経』に説かれている往生を、親鸞聖人はこのように申しております。『(じょう)(ど)(さん)(ぎょう)(おう)(じょう)(もん)(るい)』の最初に、

    (だい)(きょう)(おう)(じょう)というは、(中略)念仏往生の願因によりて、必至(めつ)(ど)の願果をうるなり。(げん)(しょう)(しょう)(じょう)(しゅ)のくらいに住して、かならず(しん)(じつ)(ほう)(ど)にいたる。これは(あ)(み)(だ)(にょ)(らい)(おう)(そう)(え)(こう)(しん)(いん)なるがゆえに、無上(ね)(はん)のさとりをひらく。

    (『真宗聖典』第1版 468頁)

    とあります。念仏して往生するという願が因となって、ただ今この瞬間、現生に正定聚の位に住して、必ず滅度に至るという果が得られるのです。これは阿弥陀如来によって説かれている、私たちが仏と成っていく真の因である。ですから私たちは、必然的に無上涅槃の覚りを開く者となる。これが大経往生なのです。
     親鸞聖人は、ここに身を置いたのです。入滅とは、必ず滅度に至るということです。滅度というのは、寂滅の涅槃の世界のことです。そこへ至るということが往生ということなのです。 私たちはすでに、釈尊によって顕らかにされた「いのち」の事実を、現に生きている。その「いのち」を、「いのち」たらしめている、全てのご縁が寂滅した世界へと帰っていく。それが本願力による私たちの往相回向です。それを私は「『いのち』の事実に帰る」と表現したいと思います。私たちは「いのち」の事実に目覚め、「いのち」の事実を生き、そして最後は、「いのち」の事実に帰っていくのです。そういう、ただ今の「いのち」を生きているのです。これが仏教における、入滅ということの一貫した説明です。生じたり、滅したりしている、(しゃ)(ば)の縁が尽き果て、「ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべき」身なのです。「かの土」とは入滅をしていく世界です。入滅をしていく世界とは、娑婆の縁が静まったということです。その静けさを楽(みやこ)とする世界へと帰っていく。その仏教の基本を、親鸞聖人は法然上人を通してきちんと確認をされているのです。〈了〉

    ※ダイジェストになりますので、本編をご覧になりたい方はこちらを参照ください。

    【2024年東京教区報恩講27日逮夜】

    https://youtu.be/xwXayQCmX7E?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=8946

    【2024年東京教区報恩講28日日中】

    https://youtu.be/PvjjBsx48rE?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=10088

    以 上

  • 「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(3)小川一乘 氏 

    「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(3)小川一乘 氏 

    パート2に引き続きパート3です。

    去る2024年1月26~28日、真宗会館にて東京教区報恩講が勤修されました。
    逮夜法要(27日)および日中法要(28日)でお話しいただいた法話のダイジェストを掲載いたします。
    法話は、大谷大学名誉教授・小川一乘氏を御講師として、「『いのちの事実に目覚めよ』―親鸞聖人にとっての死―」をテーマに、お話しいただきました。  『Network9』2024年4月号より引用

    照らす者と照らされる者

     親鸞聖人は、出家をして比叡山で学ばれました。そこで、出家をして修行を積んで覚りを開いて仏と成るという(じ)(りき)(さ)(ぜん)の仏道に、親鸞聖人は絶望して山を下りました。その比叡山で天台宗を開かれた(さい)(ちょう)は、比叡山で学ぶ若者たちに対して、『(さん)(げ)(がく)(しょう)(しき)』という指南書をお書きになっています。その言葉の中に「一隅を照らす者となれ」というものがあります。修行を積んで覚りを開き、世間の人々に智慧の光を当て、仏の教えに出会うようにする。世界を照らすことができなくても、一隅でもいいから照らす者となれ、と若者を励ましたのです。それが出家仏教の基本なのです。
     その天台宗の中で、(そう)(ず)という位にまでなった(げん)(しん)僧都を、親鸞聖人は七高僧の中に取り入れています。なぜかと言いますと、源信僧都は最澄と違ったことを仰ったからです。それが『(おう)(じょう)(よう)(しゅう)』という有名な書物です。なぜ源信僧都を、親鸞聖人は七高僧の中に取り入れたのか、『正信偈』を読むとはっきりします。

    (われ)また、かの(せっ)(しゅ)の中にあれども、煩悩、(まなこ)(さ)えて見たてまつらずといえども、大悲(ものう)きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。

    (『真宗聖典』第1版 207頁)

    と、源信僧都の『往生要集』のお言葉をそのまま引用されています。このお言葉に親鸞聖人は注目されたのです。それを「高僧和讃」の中では、

    (ぼん)(のう)にまなこさえられて

    (せっ)(しゅ)の光明みざれども 

    大悲ものうきことなくて 

    つねにわが身をてらすなり

    (『真宗聖典』第1版 497頁)

    と詠まれています。照らす者となれと励ましたのが最澄です。ところが源信僧都は、いつも照らされているというのです。我が身は照らされて生きている者、そういう源信僧都のいただきに親鸞聖人は納得したのだと思います。
     わかりやすい例えで説明してみましょう。真っ暗な部屋に入って照明のスイッチを入れると、部屋が明るくなります。スイッチを入れる者となれ。これが最澄の仏道なのです。源信僧都のいただきは、煌々と明るい部屋にいながら、目をつぶって「暗い、暗い」と無明の世界を作り出しているのが、この私であると言うのです。
     もうすでに明るい世界にいるのです。それが「いのち」の事実です。しかし私たちは煩悩にまなこさえられて、暗いと言って生きているのです。そう仰る源信僧都のお言葉を、親鸞聖人は大切にされました。そのお言葉を通して、源信僧都を七高僧の一人に加えておられるのではなかろうかと思います。親鸞聖人も、阿弥陀如来の本願に照らされて、生かされている身である、ということを信じて生きる身となりました。同じように、私たちも親鸞聖人と同じ方向を向いて、照らされて生きる者となる。それが、源信僧都の「大悲無倦常照我」というお言葉です。今この瞬間も、「いのち」の事実に目覚めよという智慧の光、大悲によって照らされているのです。

    如来のはたらきとしての回向

     「本願力回向」として、本願のはたらきによって差し向けられているものに、「(おう)(そう)回向」と「(げん)(そう)回向」という二回向があると、親鸞聖人は説かれています。ある人は「念仏者は、死んだ後に浄土へ往生して、再びこの世に還ってきて、人々を照らし教化する、それが還相回向である」と、そのように還相回向を「未来のこと」として受け取ろうとします。しかし親鸞聖人は、ご自身が再びこの世に還ってきて、人々を教化するなどと、そのようなことは一言も仰っていません。
     では、親鸞聖人にとって「還相回向」とは何でしょうか。それは「大悲無倦常照我」という、今まさに智慧の大悲によって、照らされているということが「還相回向」なのです。その大悲に照らされて、私たちも智慧の世界へと帰ることができる。それが「往相回向」なのです。これが本願力回向(本願のはたらきとしての二回向)であると親鸞聖人はいただいていると、私は受け取っています。
     ですから未来のことではなく、ただ今のこの瞬間、私たちは還相回向の光の中に身を置いているのです。その光明無量、壽命無量の本願に出遇って、私自身が「いのち」の事実の世界へと目を開かせてもらっていくのです。自分の力では目を開くことができない私たちに「目を開いて見なさい」と、「あなたは光の世界に身を置きながら、『暗い、暗い』と言って無明の世界を造り出している。その事実に目覚めなさい」と言って、私たちにはたらきかけてくださっている。それが還相回向であり、大悲なのです。目覚めていない者がいる限り、光明無量は壽命無量となってはたらき続けてくださっています。私はそれを、還相回向といただいております。 そのことに感動し、照らされているただ今の瞬間の「いのち」を、感動をもって生きる者となる。そして親鸞聖人は『歎異抄』で、感動をもって生きる者となった私が、

    なごりおしくおもえども、(しゃ)(ば)(えん)つきて、ちからなくしておわるときに、かの(ど)へはまいるべきなり。

    (『真宗聖典』第1版 630頁)

    と仰っています。必ず「かの土」へ行かなければいけないのです。ただ今の私を私たらしめていた、数限りないほどのご縁が尽き果てたら、どんなに死にたくないと頑張っても、力なくして終わるときは、「かの土」へ参るのです。親鸞聖人は、その「かの土」ということをどのようにいただいていたのでしょうか。

    ※ダイジェストになりますので、本編をご覧になりたい方はこちらを参照ください。

    【2024年東京教区報恩講27日逮夜】

    https://youtu.be/xwXayQCmX7E?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=8946

    【2024年東京教区報恩講28日日中】

    https://youtu.be/PvjjBsx48rE?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=10088

    パート4(最終)へ続く

  • 「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(2)小川一乘 氏 

    「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(2)小川一乘 氏 

    パート1に引き続きパート2です。

    去る2024年1月26~28日、真宗会館にて東京教区報恩講が勤修されました。
    逮夜法要(27日)および日中法要(28日)でお話しいただいた法話のダイジェストを掲載いたします。
    法話は、大谷大学名誉教授・小川一乘氏を御講師として、「『いのちの事実に目覚めよ』―親鸞聖人にとっての死―」をテーマに、お話しいただきました。  『Network9』2024年4月号より引用

    「いのち」の事実に生きる

     親鸞聖人がおられた鎌倉時代までの日本の仏教は、比叡山の日本天台宗などの(けん)(きょう)と、高野山の(しん)(ごん)(みっ)(きょう)という(けん)(みつ)(ぶっ)(きょう)が基本です。仏教というのは覚りを開いて仏に成る教えである。それを当時の仏教は、出家をして定められた修行を積み重ねることによって、覚りを開いて仏に成るというのが常識でした。これを親鸞聖人は、修行によって覚る「行証」と表現しております。それでは出家もしないし、修行もしていないものが覚りを開いて仏に成るということは、あってはならない、そんなことあり得ないというのが当時の仏教の常識だったのです。法然上人や親鸞聖人にとって大切な『三部経』も、出家も修行もしない在家者は、死んで極楽浄土に生まれて、そこで仏に成ることができる。そのための方便が説かれている経典とされていたのです。この常識を打ち破ったのが法然上人、親鸞聖人です。どう打ち破ったのでしょうか。
     私たちはご縁によって成り立っていると、釈尊は覚りを開かれました。そして自分の思い通りに生きようとする私が、問い直されていく教えです。しかし、釈尊はその目覚めを、人々に伝えることを諦めたのです。自分の思い通りに生きようとしている人々に、自分の覚りによって得た「いのち」の事実を話しても、聞いてもらえないだろうと、説法不可能という絶望を感じたのです。そして自分の覚りは、自分だけで楽しむという思いに陥りました。そこへ(ぼん)(てん)(インドの神様)が現れ、絶望に陥っている釈尊に対して、どうか説法をしてほしいとお願いをするのです。どうしてこのような物語が出来上がったのでしょうか。
     それは釈尊の覚りが、釈尊個人のものではなく、あるいは努力や修行によって得るものでもなく、一切衆生がすでに、その覚りの世界を生きているからなのです。これが「いのち」の事実です。私たちが自分の思い通りに生きようと頑張っても、すでに生かされている「いのち」を生きている。それに逆らって生きているのです。ですから釈尊の覚りは、釈尊個人のものではなく、全人類のものなのです。それを、全人類を代表して梵天が説法をお願いしたという、神話的な表現で表されているのです。
     大乗経典が説かれるようになったのも、釈尊の覚りが、一切衆生にとっての覚りであるということの、必然的な経過なのです。すでに一切衆生は、釈尊の覚りによって明らかとなった「いのち」の事実を生きているのである。そのことに目覚めてほしいという願いを持ったのが、大乗経典に登場する菩薩たちなのです。その願いが、具体的に本願として説かれているのが、『大経』なのです。
     出家して、修行して、覚りを開くのではありません。もうすでに覚った教主釈尊がいるのです。その釈尊の教えに、納得するか納得しないかということなのです。もうすでに私たちは釈尊の覚りの世界に生きている。その覚りに出遇うということなのです。そのことに目覚めよと説いているのが大乗仏教なのです。それを(てら)(かわ)(しゅん)(しょう)先生は、「往生浄土の自覚道」という言葉で表現されております。法然上人、親鸞聖人によって顕かにされたのは、「そうだったのか」と、頷き納得して受け止める自覚道なのです。それを親鸞聖人は「信心」と仰いました。信心というのは、訳が分からずとも信じるということではないのです。納得して「そうであったな」と確信をする。それが親鸞聖人の言われる「信心」です。そのことは、『(たん)(に)(しょう)』に明確に説かれています。

    (み)(だ)の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、(きょ)(ごん)なるべからず。仏説まことにおわしまさば、(ぜん)(どう)(おん)(しゃく)、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、(しん)(らん)がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。(せん)ずるところ、(ぐ)(しん)の信心におきてはかくのごとし。

    (『真宗聖典』第1版 627頁)

    弥陀の本願が本当ならば、釈尊の仰ることは嘘ではない。であれば、善導の仰ることも、法然上人の仰ることも嘘ではない。ここに親鸞聖人の信心があるのです。覚りを開かれた釈尊の教え、その教えが説かれている本願に出遇って、頷き納得させてもらう。それを親鸞聖人は、信心という言葉で表現されているのです。また、『(きょう)(ぎょう)(しん)(しょう)』の、後序といわれる結びの言葉に、

    (しょう)(どう)の諸教は(ぎょう)(しょう)久しく(すた)れ、浄土の真宗は証道いま(さかり)なり()

    (『真宗聖典』第1版 398頁)

    とあります。出家仏教の、出家して修行して覚りを開いて、自力で仏になる「行証」は廃れて久しい。それに対して、法然上人がお説きになられる浄土の真宗は、いま現に覚りへの道を歩んでいる「証道」であり、いま盛んであると仰っています。浄土に生まれることは、そこで覚りを開いて仏と成るための方便であるという常識を打ち破って、往生成仏こそが真実であると、大きな転換を図ったのが、親鸞聖人の真宗なのです。

    仏の覚りに出遇う

     覚りとは自力で覚るものではなく、仏の覚りに出遇うことによって始まるという位置づけをされたのが、実は(りゅう)(じゅ)(ぼ)(さつ)なのです。
     大乗仏教になりますと、出家仏教は菩薩道となり、菩薩道には十の段階があって、その段階を登り詰めて、仏に成ると説かれるようになります。ところが龍樹菩薩は、一段階目の「初地」に立った瞬間に仏になれると、段階を登り詰めて仏に成る教えを否定したのです。そのことを、親鸞聖人が『正信偈』の中で、龍樹菩薩を讃えているお言葉から伺ってみたいと思います。

    大乗無上の法を(せん)(ぜつ)し、(かん)(ぎ)(じ)を証して、安楽に生ぜん、と。

    (『真宗聖典』第1版 205頁)

    とあります。菩薩の十地の最初の地を歓喜地、歓喜する地と言います。「生」は生まれるということではなく、「往生」という意味です。ですから、初歓喜地に立って、仏の覚りに出遇った瞬間、必ず安楽国に往生すると、龍樹菩薩は仰るのです。
     そして「歓喜」というのは、「未だ、得てはいないが、必ず得られるであろうことを、先だって喜ぶ」ことであると、親鸞聖人は説明しております。私たちがお覚りの世界へと往生していくことは、まだ実現していません。しかし、そうなっていくことは、間違いないことです。だから、先立って喜ぶということを「歓喜」と言うのです。そのように龍樹菩薩が仰っていると、親鸞聖人は了解されました。そしてその次に、

    弥陀仏の本願を(おく)(ねん)すれば、(じ)(ねん)(そく)の時、(ひつ)(じょう)(い)る。

    (『真宗聖典』第1版 205頁)

    とあります。これもそうですね。阿弥陀仏の本願を思い起こせば、自分の力ではなくて、必然的に即時に、仏の世界に身を置くことになるのです。「必定」とは、すでに仏の世界に身を置いていることへの確信です。寺川先生のお言葉で言えば「自覚道」です。「そうであった」と自覚したとき、すでに覚りの世界に身を置く者となる。そのことを最初に明示して下さったのが龍樹菩薩です。だから親鸞聖人は七高僧の一番始めに龍樹菩薩を讃嘆されているのです。

    心はすでに如来とひとし

    龍樹菩薩が顕かにした「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」ということを、親鸞聖人は「証道」と表現されました。そして証道の教えを顕らかにした法然上人のお念仏が、今は盛んであると讃えております。親鸞聖人は『(ご)(しょう)(そく)(しゅう)』の中では、そのことを、表現を変えて、このようにも仰っております。

    浄土の(しん)(じつ)(しん)(じん)の人は、この(み)こそあさましき(ふ)(じょう)(ぞう)(あく)の身なれども、心はすでに(にょ)(らい)とひとし

    (『真宗聖典』第1版 591頁)

     私たちは死ぬまで、死にたくないと、この世にしがみついている「不浄造悪」の身であるけれども、本願を通して「いのち」の事実に頷いた者は、如来と等しいのである。そう言い切られたのです。すごいお言葉です。
     浄土に生まれることは、仏と成るための方便ではなく、釈尊の覚りが実現されていく往生である。そのことを信じた人は、浅ましい不浄造悪の身であっても、心はすでに如来と等しいのです。
     これが、私たちがいただいている浄土真宗なのです。そのことを、私たちは共に聞法しあっていく世界が大事ではないかと思います。絶えず信心を揺るがす、不浄造悪の身が私たちです。だから常に聞法なのです。
     自分の思い通りに生きたい、愛したり憎んだり、仲良くしたり喧嘩をしたり。そういう生き方をしている私たちであっても、すでに「いのち」の事実に目覚めた如来と同じ「いのち」を生きているのであり、心は如来と同じだと言い切られたのが、親鸞聖人の教えです。そこに、今ある瞬間の「いのち」に深い感動を持つとともに、釈尊によって顕かにされた「いのち」の事実が、本願として私たちのうえに問いかけられているのです。それが浄土経典なのです。

    ※ダイジェストになりますので、本編をご覧になりたい方はこちらを参照ください。

    【2024年東京教区報恩講27日逮夜】

    https://youtu.be/xwXayQCmX7E?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=8946

    【2024年東京教区報恩講28日日中】

    https://youtu.be/PvjjBsx48rE?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=10088

    パート3へ続く

  • 「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(1)小川一乘 氏 

    「いのちの事実に目覚めよ」-親鸞聖人にとっての死-(1)小川一乘 氏 

    去る2024年1月26~28日、真宗会館にて東京教区報恩講が勤修されました。
    逮夜法要(27日)および日中法要(28日)でお話しいただいた法話のダイジェストを掲載いたします。
    法話は、大谷大学名誉教授・小川一乘氏を御講師として、「『いのちの事実に目覚めよ』―親鸞聖人にとっての死―」をテーマに、お話しいただきました。  『Network9』2024年4月号より引用

    仏の覚りを共有する世界

     この度、東京教区の報恩講のご縁をいただきましたことに大変恐縮をしております。私は、実は最初から親鸞聖人の教えと向き合おうとしたのではなく、親鸞聖人が向き合われた仏教とは何かという視点から学びを始めました。そういう意味では、私が親鸞聖人と出遇う基本は、親鸞聖人が釈尊の覚りを、どのように身をもっていただかれたのかということになります。
     世界にはいろいろな宗教がありますが、仏教だけは他の宗教と違うのです。仏というのは、覚りを開いた者という意味です。覚りを開いて仏と成った釈尊の教えに出遇い、その「覚り」を私たちも共有して仏に成る教えというのが仏教の基本です。
     キリスト教では違います。キリストが説いた教えは、私たちが神になる教えではなく、神のもとで、どんな幸せを得ようかという話です。仏教は、私たち一人ひとりが仏になる教えです。釈尊の教えを共有する、これが仏教の基本的なことです。
     そこで今回は、「『いのち』の事実に目覚めよ」というテーマを掲げさせていただきました。私たちは、生まれたら必ず死んでいきます。親鸞聖人は、その「いのち」の事実にどのように目覚めて、自らの死をどのように引き受けていかれたか、という視点でお話ししていきたいと思います。

    「いのち」の事実に目覚める

     私たちは人生100年の時代を迎えて、自分の死ということについてあまり関心を向けていないように見えます。人の死を悲しんだり、涙を流したりはするけれども、「二人称の死」に留まってしまい、自分という「一人称の死」と向き合うことをしていないのではないでしょうか。これは長寿社会の特徴ではないかと思います。自分の死はまだまだ先のことだと思っているのです。
     しかし、ここ数年間の新型コロナによって、そうも言っていられない自分が見えてきました。コロナに感染することを恐れ、感染して死に至ることを恐れ、そして感染した人を恐れています。そこに自ずと差別や、排除や、様々な形の問題が作り出されています。そういう人間の在り方があからさまになってきたのではなかろうかと思います。
     私たちは、生まれたら歳をとりますし、ときには病気もします。そして、必ず命が終わっていく、これが当たり前なのです。この「生老病死」ということを、当たり前のこととして受け入れることができないのが、人間の生業(なりわい)ではなかろうかと思います。どうしてなのでしょうか。釈尊も今から2500年前に、生老病死に苦悩する我(自分)とは一体何者かということに向き合われました。ただ今生きているこの瞬間の「いのち」は、どのようにして成り立っているのだろうか。そこに、生老病死に苦悩する私がどのように関わっているのだろうか。そのことを問い続けたのが、釈尊の6年間の苦行だったかと思います。なぜ人間は生老病死に苦悩するのか、そこに存在している苦悩する自己とは、どのようにして成り立っているのか。それが顕(あきら)かになれば、生老病死に苦悩する私の存在も顕かになる。そこに、釈尊の覚りの出発点があったのです。では、ただ今この瞬間にあり得ている、私たちの「いのち」とは何なのでしょうか。

    縁起的存在としての私

     私は今ここでお話をさせていただいております。それは数限りないほどのご縁の中で、ただ今ここで拙い話をさせていただいているわけです。しかもここで話をしているこの私は、お聞きくださっている皆さんによって成り立っています。ここに誰もいらっしゃらなければ、私は話をしていません。今の私ではない別の私がいることになります。ここでお話をさせていただいているということは、私の力を超えて数限りないご縁の中で、成り立っているのです。そういう関係性によって成り立つ「いのち」を釈尊は顕かにしてくださったのです。
     この、関係性の中であり得ているという、その道理を釈尊は「縁起」と仰いました。大学院に入った頃、私がそのことをいただく大きなきっかけになった、あるご門徒のおばあちゃんがいました。そのおばあちゃんが亡くなる前の年、お盆のお参りに行きました。おばあちゃんは仏間の隣の部屋で、ぜいぜいと苦しそうに息をして寝ておられました。仏間で正信偈を拝読させていただく間も、おばあちゃんから聞こえてくる声はただお念仏だけです。そして帰りがけに下駄を履きかけた時、「若さん」と背中からおばあちゃんの声が聞こえました。「もったいのうございます。ありがとうございます」と言うのです。そして次に出てきた、背中に響いた言葉に、びっくりしたのです。「こんな苦しい思いをさせていただけるのも仏様から命をいただいたおかげでございます。もったいのうございます。なまんだぶつ」
     苦しむのは嫌です。病気になるのも、歳をとるのも嫌、死ぬのも嫌だと言っているのが私たちです。しかし、そういうことが言えるのは仏様から「いのち」をいただいているから言えるのです。様々なご縁によって生かされている私ということを、そのおばあちゃんは「仏様からいただいた命」と仰いました。「このおばあちゃんは仏様だ。いずれ寺の住職になるであろう私に最後の力を振り絞って説法をしてくださったんだ」と、下駄を履きながら涙がボロボロと出ました。念仏者の生き様に出遇って、親鸞聖人のいただいた仏教とはなんとすごい教えなのだと、身をもって納得させていただきました。それから、ひたすら仏教について真剣に取り組み、今の私がいるのではないのかなと思います。
     「仏様からいただいた命」と、おばあちゃんは表現しました。それを理屈的に言うと、私たちは「縁起的存在」であるということです。数限りないご縁によってただ今生かされている、その「いのち」に感動をもって生きる者となる。これが釈尊の教えの大事なところです。ただ今の、この瞬間の自己の「いのち」に感動を持てない者は念仏者とは言えないのです。こうはっきり言っていいと思います。念仏をいただいた者はただ今の瞬間、こんな苦しい思いをさせていただけるのも、「仏様からいただいた命」あればこそと、身をもって「いのち」を引き受けていくのです。

    ※こちらはダイジェストになります。本編はご覧になりたい方はこちらを参照ください。

    【2024年東京教区報恩講27日逮夜】

    https://youtu.be/xwXayQCmX7E?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=8946

    【2024年東京教区報恩講28日日中】

    https://youtu.be/PvjjBsx48rE?list=PLnN1j5pDvf1A77wUHOTqiId414WhS4Ruy&t=10088

    パート2へ続く

  • 【特集】「南無阿弥陀仏ってなぁに?」好きな自分と嫌いな自分

    【特集】「南無阿弥陀仏ってなぁに?」好きな自分と嫌いな自分

    こんな自分は好きだけど、こんな自分は嫌い
    昨日まで好きだった自分が、今日はなぜか嫌いな自分になっている
    そんな自分が許せなくなって、また嫌いな自分になっていく・・・

    慶讃テーマ周知フライヤー第1弾から引用 ダウンロードはこちらから

  • 【特集】「そもそも自分って本当に正しいのか」(3)藤森和貴氏インタビュー

    【特集】「そもそも自分って本当に正しいのか」(3)藤森和貴氏インタビュー

    【特集】「そもそも自分って本当に正しいのか」(1)・(2)に引き続きパート(3)となります。

    藤森さんは写真に一言を添えた詩集『いろいろ問うてみる』(文芸社)を2021年に自費出版されており、シンプルでまっすぐな言葉と写真は読者に様々な思いを想起させます。
    主にインドでの旅先で撮られた何気ない写真からは、欲望渦巻く現代社会で悩む私たちの課題を浮き彫りにしているように感じました。
    今回の特集では、藤森さんがどのような縁で写真集を出そうと思ったのか、また旅先での出来事から自分自身が問われていることは何だったのかなどをお話いただきました。『Network9』2023年7月号より引用
     

    藤森 和貴氏(東京7組 常願寺住職)
    1986年、東京都文京区生まれ
    初めて訪れた国インドに魅了され写真を撮り始める
    主著に写真エッセイ集『いろいろ問うてみる』(文芸社)がある。

    ―海外で撮影した写真だけでなく、日本の都市部の写真もありますねー

    渋谷の街を歩いていた時に下を向いて咲いている花がありました。私は「花は上を向いて咲くものだ」と思っていたので変だなと感じて撮影しました。「異常、異常っていうけれど、そんな私は正常なのか」と。花は上を向こうが下を向こうが花は花ですよね。自分が勝手に異常と思っているけれども。異常ということは、裏を返せば自分は正常だということ。本当にそうなのか。そんな自分の常識というのが揺さぶられた出会いでした。

    ―今回の表紙では仏跡の写真は選ぼうとは思わなかったのですか?―

    今回のNW9の表紙を依頼されたとき、最初は仏跡の写真や仏教のことばを入れた方がいいのかなと思いました。写真だけでしたらそれでも良かったのですが、写真とそれを撮った背景の言葉を大事にしたいと思いました。

    ―表紙に選ばれた「壁は外にはなかった、私の内にあった」という言葉がとても印象的でしたー

    この言葉は、ヒマラヤの山に行ったときの出来事から感じた言葉ですね。20日間くらいかけて、宿を転々としながらヒマラヤの山を進んでいました。一緒にスタートした人は、大体はみんな宿で一緒になるのです。周りはほとんど欧米人で、アジア人は私一人でした。欧米人はすぐにコミュニティを作っていました。それで、一緒にご飯食べようと誘われるのですが、自分はそれが嫌になる時があって断わることがありました。その時に「壁というのは自分の中にあるのだ」と感じました。要するに自分が壁を作っているのだと感じた言葉ですね。


    また旅の中で、私が目的地に行く前に撮った写真の子と、目的地から帰ってきた時に撮った写真の子が同じだったということがありました。その時は同じ子だとは気付きませんでした。後から写真を見返したとき、首飾りや目元が一緒で同じ子だと気が付きました。最初に会った時は一人で悲しそうな感じだったのですが、帰ってきた時には3、4人くらいで、すごく楽しそうに遊んでいたので別人だと思っていました。要するに自分が勝手に思い込んでいただけで、その人の一面しか見ないで判断してしまう自分の危うさを感じさせられました。

    ―本日はお話しいただきありがとうございましたー                           以 上

    『いろいろ問うてみる』著書

    ¥1500+税               

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  • 【特集】「そもそも自分って本当に正しいのか」(2)藤森和貴氏インタビュー

    【特集】「そもそも自分って本当に正しいのか」(2)藤森和貴氏インタビュー

    【特集】「そもそも自分って本当に正しいのか」(1)に引き続きパート(2)となります。

    藤森さんは写真に一言を添えた詩集『いろいろ問うてみる』(文芸社)を2021年に自費出版されており、シンプルでまっすぐな言葉と写真は読者に様々な思いを想起させます。
    主にインドでの旅先で撮られた何気ない写真からは、欲望渦巻く現代社会で悩む私たちの課題を浮き彫りにしているように感じました。
    今回の特集では、藤森さんがどのような縁で写真集を出そうと思ったのか、また旅先での出来事から自分自身が問われていることは何だったのかなどをお話いただきました。『Network9』2023年7月号より引用
     

    藤森 和貴氏(東京7組 常願寺住職)
    1986年、東京都文京区生まれ
    初めて訪れた国インドに魅了され写真を撮り始める
    主著に写真エッセイ集『いろいろ問うてみる』(文芸社)がある。

    ―出版された写真集の『いろいろ問うてみる』というタイトルはどのような意味を込められたのですか?―

    自分が初めて行ったインドで色んな価値観と出会う中で自分の正しさというものを疑うようになりました。そういう意味も含めて写真を通して自分がいろいろ問うているつもりが、最後には自分が問われているということに気が付きました。出遇いによって問いが生まれてくるということを書いたつもりです。この表紙はブッダガヤの(ぜん)(しょう)(かく)(さん)の近くで撮ったサルです。サルがお互いを見ているのが、お互いを問うているような感じがしたので表紙にしてもらいました。

    ―写真集の中では動物の写真が多く掲載されていますねー

    そうですね。動物から多くの問いをもらっています。
    ネズミから私の差別性が問われているように感じることがありました。私はそのネズミが踏み潰されて死んでいるのを、素通りしてしまうところでした。ですが、隣を歩く人は踏みつけられているネズミをみて驚いていました。自分たちの生活も知らず知らずのうちに何かを踏んでいて、踏んでいる側は気づかない。そういうことを感じさせられました。
    また、本の中にたくさんのナマズが餌に群がっている写真があるのですが、その写真は欲望というものを表現しようとしました。

    また、タイに行ったときに駅のプラットホームで休んでいた私にハエがたかってきました。最初は手で払っていたのですが、それでもたかってくる。そのとき〈生きている〉と感じさせられたのです。求められているというか、欲されているというか。そのとき初めて生きている実感を受けた出来事で、小さないのちから教えられるという思い出があります。日本にいるときはそんなことを考えないのですが、異国に行くと自分を見つめるというか、肌感覚が研ぎ澄まされるような感覚があります。

    ―写真集には手書きの詩や空白の間のようなページもあるのですねー

    印刷の文字だけではなく、敢えて手書きでやらせてくださいとお願いしました。人間の欲望というのでしょうか、足りない足りない、もっともっとと、四方八方からの欲望というものを表現したくて、手書きで色んな方向から「もっと」という言葉を手書きしました。
    また言葉では表現できない間のようなものを表現したくて、真っ白なページを途中に入れたかったのですが、それでは印刷ミスだと思われてクレームが来ることがあるらしいのです。だからちょっとでも言葉か何かを入れて欲しいと言われて、アイデアを出してもらい、白い見開きに点をいくつか入れて、間を表現しています。

    『いろいろ問うてみる』著書

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  • 【特集】「そもそも自分って本当に正しいのか」(1)藤森和貴氏インタビュー

    【特集】「そもそも自分って本当に正しいのか」(1)藤森和貴氏インタビュー

    藤森さんは写真に一言を添えた詩集『いろいろ問うてみる』(文芸社)を2021年に自費出版されており、シンプルでまっすぐな言葉と写真は読者に様々な思いを想起させます。
    主にインドでの旅先で撮られた何気ない写真からは、欲望渦巻く現代社会で悩む私たちの課題を浮き彫りにしているように感じました。
    今回の特集では、藤森さんがどのような縁で写真集を出そうと思ったのか、また旅先での出来事から自分自身が問われていることは何だったのかなどをお話いただきました。『Network9』2023年7月号より引用
     

    藤森 和貴氏(東京7組 常願寺住職)
    1986年、東京都文京区生まれ
    初めて訪れた国インドに魅了され写真を撮り始める
    主著に写真エッセイ集『いろいろ問うてみる』(文芸社)がある。

    ―この度は表紙の取材よろしくお願いいたします。藤森さんが仏教に出会ったご縁や、写真集を出そうと思ったきっかけをお聞かせくださいー

    仏教を学ばせていただいて、自分なりに色々考えて感じたことを文字や詩にして、写真と一緒にファイルに残していました。ちょうどコロナが流行りだしたころに、どこへも行くことができなくなって、そのファイルを見返していくうちに何か形にしたいなという思いがありました。時間ができたというのが本を作る一つのきっかけですね。

    大学を卒業してからすぐに法務を始めたわけではなくて、飲食業などをしていました。小さい頃は、法事や報恩講で父親と一緒にお参りをしていたのですが、物心がつくようになってからはお寺の行事に参加しなくなりました。22歳の時に父親が癌で亡くなりました。どんどん、どんどん父親が癌で弱っていって、最後は寝たきりの状態でした。父親から「お寺はどうするのか」といった内容のことを聞かれたのですが、自分はちょっと強がって「お寺は継がない。他にやりたいことがあるんだ」と言っていました。特にやりたいことは無かったんですけど、そんなことを言ってしまって、結局、「お寺を継ぐ」と伝える前に父は亡くなってしまったんです。

    父親から「お寺を継ぐ、継がないは別にして、仏教だけは学んでほしい」と言葉をかけられました。「仏教を学んで活き活きと生きてほしい」と言われて、それまで仏教は「お寺でお経を読む」とか、「お葬式にいく」というイメージしかなかったのですが、「活き活きと生きてほしい」ということは、仏教は「生き方」なのかなということを「ふっ」と思わされました。お寺を継ぐ、継がないは別にして「仏教を学んで活き活きと生きてほしい」という言葉が、心の中に残っていました。すぐに仏教の道には行かなかったですけど、父親が亡くなってから、色んな方のお話を聞いていくうちに、仏教を学んでみようとなりました。僕がインドにはまったのは同朋大学の先生の影響です。初めて行った外国がインドでした。

    ―インドのどういうところに衝撃を受けましたかー

    すべてといいますか、そこかしこに牛は歩いているし、色々な人がいます。たとえば日本の映画館では誰も話さないで観るというのが当たり前ですが、インドでは真逆で、俳優が出るたびに盛り上がったり、電話をしたりとうるさいのですが、それが常識です。その真逆の世界を感じられたのは、すごく好奇心を掻き立てられました。それまでは日本の価値観しか知らなかったので、もっと広い世界があるのだなと感じさせられたのが初めてインドに行ったときです。

    年に何回かインドなどに行きますが、インドから帰ってくると東京とは違う時間の流れを感じます。インドは時間がすごい緩やかに流れていますね。働き方とかもすごい緩やかで、色々考えさせられます。インドでは列車が10時間遅れることが日常です。インドにいると遅延しても待てるんですけど、東京に帰ってくると1、2分電車が遅れただけでイライラしている自分がいます。自分の置かれた環境によって受け取り方がどっちにも変わるんだと気付かされました。

    『いろいろ問うてみる』著書

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  • 【特集】ご門徒さんと考えるお寺の防災について(3)  星野暁氏(同朋社会推進ネットワークチーフ)インタビュー

    【特集】ご門徒さんと考えるお寺の防災について(3) 星野暁氏(同朋社会推進ネットワークチーフ)インタビュー

    ご門徒さんと考えるお寺の防災について(1)、ご門徒さんと考えるお寺の防災について(2) に引き続きパート3となります。

    今年は関東大震災から100年という節目の年にあたります。また大震災が発生した9月1日は、「防災の日」と定め災害対策を見直すうえで、大切な機縁となっています。
    ここ30余年の間にも、大きな地震が毎年のように発生している日本列島。そして近い将来南海トラフ巨大地震をはじめ、私たちがこれまで直面したことのない大規模な震災が必ず起こるだろうと言われています。
    さらには地震だけでなく、温暖化に起因する集中豪雨や大型台風などの深刻な自然災害も枚挙に暇がないほど、全国各地で頻発している状況です。そんな中で、私たちは来たる災害とどう向き合い、どのように備えていけばよいのでしょうか。
    そこで「お寺の防災について」をテーマに、真宗大谷派東京教区内部署「同朋社会推進ネットワーク」で様々な社会問題に取り組み活動され、防災に詳しい 星野暁(ほしのさとし)氏(茨城県・浄安寺住職)にお話を伺います。『NetWork9』2023年9月号より引用

    星野暁(ほしのさとし)氏(茨城県・浄安寺住職)                                             

    平時のつながりの大切さ

    お寺という、公共性がある場所ということを考えると、やはり地域の人びとにもお寺を開いて使えるようにしていかなければならないという思いをより強くしました。実際に何か災害が起きたとき、お寺で炊き出しをして「ご飯どうぞ」と言っても、たとえ近所の人でも、普段からあまり関わりがないと受け取りにくくなってしまいます。
    それをどうにかしたいという思いもあり、2年ほど前、毎月28日の御命日の集いが、コロナの影響で座談会ができなくなったことを機に、バザーのようなことをしたいという話になりました。そこから現在では毎月28日の午後から、お弁当屋さんのお惣菜や、ご門徒さんが作ったお野菜などを境内に並べて、近所の人に販売するということをやっています。その時に、50食ほどの炊き込みご飯を毎回作っていて、それを「住職手作りの炊き込みご飯」として配っています。ありがたいことに、おいしいと好評なんです。普段何もやっていないところで急に炊き出しをやってみても受け入れてもらえるか分からないですが、そうやって住職が作っているものが普段から食べられていると認知していただくと、食に対する信頼が得られるのだと思います。
    お寺というと敷居が高いと言われるけれど、そういう日頃からの関係を作っておけば、もし何かがあったときに、お寺が頼れる場所だと認知してもらえるようになると思います。

    「28にち市」の様子                                                         

    まずは自分にできることを

    ただ、これは余力があるお寺は準備したらいいということで、必ずしもしなければいけないということではないと思います。やることが良いとか悪いとか、そんなことでは無く、余力があったらやれば良いということです。みんながみんなできる事ではないので。
     『寺院のための災害対策ハンドブック』を見ていると、ここに書いてあることを全部やらなければいけないのかという話に、みなさん思われてしまうのですが、全部というのはなかなかできるものではないので、どんなお寺でもこの中のたった一部分でいいから、できることからやっていければいいのです。
    たとえばうちの場合、決めていることが一つあります。お寺を避難所として開放しようと思っているのですが、東日本大震災の時に、小さい子どもを抱えたお母さんが避難所で「うるさい」と文句を言われ、行き場がなく不安で仕方がなかったというお話を聞きました。そこで、うちの寺が無事だった時は、小さな子どもを抱えている人たちの避難所として開放しようということにしました。元々お寺で子ども会もやっていて、子どもの玩具なども普段から置いてあるし、それで限定にしよう、それでもどうしても来たい人には、ここは小さい子ども中心の場所だよって言ってしまえばいいわけです。保護者同士であれば、一人の保護者が何人かの子どもを見て、手が空いた方と一緒に炊き出しもできるという発想もありました。

    子ども会の活動も大切な平時のつながりに                                          

    災害の時に何かそういう「したいこと」というのが一つあったとしても、「できること」というのは、なかなかそういう環境がないとできるようにはならない。日ごろからの準備、お寺と地域の人との平時のつながりがあって、あとはこちらに余裕があればできることなのだと思います。ある程度こちらも準備をして余裕を持っておかないと、いくらやりたいという気持ちがあっても、大きな災害が起きた時に準備がなければ、やりたくてもできない。ある程度準備や心づもりをしておけば、できることも少し広がるというところで、お寺というのはそういうことが可能になる現実的な場所なのだと思います。

    以 上

    「※同朋社会推進ネットワーク」

    同朋社会推進ネットワークとは、今から20年ほど前に、世に起きる様々な社会問題に対し、迅速に動ける部署が必要との趣旨から、真宗大谷派東京教区内に「同朋社会推進ネットワーク」が立ち上がりました。性差別の問題、非戦平和の問題、それとボランティアの問題を三本柱に3つのチームを作り活動をしてきました。更に、災害や自死の問題もあり、グリーフケアを学ぼうということにもなって現在に至っております。

  • 【特集】ご門徒さんと考えるお寺の防災について(2)  星野暁氏(同朋社会推進ネットワークチーフ)インタビュー

    【特集】ご門徒さんと考えるお寺の防災について(2) 星野暁氏(同朋社会推進ネットワークチーフ)インタビュー

    ご門徒さんと考えるお寺の防災について(1) に引き続きパート2となります。

    今年は関東大震災から100年という節目の年にあたります。また大震災が発生した9月1日は、「防災の日」と定め災害対策を見直すうえで、大切な機縁となっています。
    ここ30余年の間にも、大きな地震が毎年のように発生している日本列島。そして近い将来南海トラフ巨大地震をはじめ、私たちがこれまで直面したことのない大規模な震災が必ず起こるだろうと言われています。
    さらには地震だけでなく、温暖化に起因する集中豪雨や大型台風などの深刻な自然災害も枚挙に暇がないほど、全国各地で頻発している状況です。そんな中で、私たちは来たる災害とどう向き合い、どのように備えていけばよいのでしょうか。
    そこで「お寺の防災について」をテーマに、真宗大谷派東京教区内部署「同朋社会推進ネットワーク」で様々な社会問題に取り組み活動され、防災に詳しい 星野暁(ほしのさとし)氏(茨城県・浄安寺住職)にお話を伺います。『NetWork9』2023年9月号より引用

    星野暁(ほしのさとし)氏(茨城県・浄安寺住職)                                            

    東日本大震災では自身も被災

    2011年の東日本大震災のときには、みんなのために炊き出しをしようとしたのですが、備蓄してあったペットボトルの水だけでは到底できませんでした。お寺に井戸があるのですが、電動のポンプでくみ上げる仕組みでしたので、電気が止まると水が出てきません。幸い薪はあったので、細々とした炊き出しを近所の方に配ることができました。そうした経験から、とにかく水が必要だなと思いました。そして意外と困ったのが安否連絡、これが大変でした。今はLINEなどで「既読」が付けば相手が「存命」だというのがわかりますが、当時はまだありませんでした。広域災害の時は電話が使えず、電気などライフライン全てが止まります。被災時は、まず水と食べ物という発想になりがちだけど、私の地域では食べ物は備蓄があるし、明かりもロウソクならお寺にあります。でも、とにかく連絡がとれないというのが、一番大変だと思いました。その反省から、デジタル簡易無線を購入しました。長いアンテナを立てると30~40キロ離れたところと交信ができます。


    国の地震調査研究推進本部によると、30年以内に震度6弱以上の地震が発生する確率が東京都内で74.2%、茨城の水戸になると80.6%になっています。そのため、また起きるだろうという想定で準備しておかなければいけないという思いが強くなりました。また地域によっては下水が3カ月も使えないことがありました。トイレで用を足しても流せないのです。そのときは、便器の中に新聞紙を入れてその上でする、それをビニール袋で二重にして出すように市からの指示がありました。しかし、中には心理的な抵抗があって用が足せず便秘になる人もいたため、簡易トイレをたくさん備蓄しました。

    取材時の様子。様々な体験田を聞かせていただきました。                                            


    また、阪神・淡路大震災(1995)や中越地震(2004)の時の個人的な経験も役に立ちました。どういうことかというと、自宅から離れた場所で被災した場合、大きい橋はしばらく時間が経つと交通規制がかかって渡れなくなります。時間はかかりますが、できるだけ小さい橋、上流の川を渡って帰るのが良いということです。
    ガソリンが無くなるのもわかっていたので、携行缶も常備しています。うちの周りの地域は古い町で、高齢者が多くいます。給水所まで遠いのがわかっていたので、お寺の設備を充実させて、いつでも分けられるように2リットルの空きペットボトルをたくさんストックしております。電気が止まると、回復するときに通電火災が起こることがあります。電気が使えない時は、ブレーカーをすぐ落とすことも忘れないでください。テレビなどでは、避難するときに車を捨てて逃げるように言われています。都内ではそこまでではないけれども、地方では車が無いほうが無謀に感じます。車には情報源のラジオがあるし、充電や暖がとれるため重要です。その他、十徳ナイフや、100円ショップで購入できる小さな携帯ライトも重宝しました。尖ったものが無いとビニール包装などは開けることも困難です。常に携帯していると銃刀法等で問題になる可能性もありますが、必要な道具だと感じました。また被災後に、門徒さんのお家の屋根が壊れ、雨漏りを心配してホームセンターへブルーシートを買いに行ったら、すでに売り切れていて困っていました。そこで、みんなにはあげられないけれども、と寺にあったものを渡したら、涙を流して喜んで帰っていきました。被災後は、ブルーシート1枚でも涙を流すほど助かることがあると知りました。そういう意味ではお寺という場所は可能性がたくさんあります。

    「※同朋社会推進ネットワーク」

    同朋社会推進ネットワークとは、今から20年ほど前に、世に起きる様々な社会問題に対し、迅速に動ける部署が必要との趣旨から、真宗大谷派東京教区内に「同朋社会推進ネットワーク」が立ち上がりました。性差別の問題、非戦平和の問題、それとボランティアの問題を三本柱に3つのチームを作り活動をしてきました。更に、災害や自死の問題もあり、グリーフケアを学ぼうということにもなって現在に至っております。

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